人の話が聞けない理由がわかったかもしれない
昔から、人の話をじっと聞くのが苦手だ。
小テストを解いている時の先生の補足とか、会社でスライドを見ながら人の発表を聞いているときとか、焼肉屋で店員さんが肉の部位の説明をしているときとか。
最初は「フンフン」と聞いていられるんだけど、少しでも長くなってくると大人しく聞いているのが苦痛になってきて、
早く終わってくれ〜〜〜!!!と思ってしまう。
そんな調子だから話もほとんど覚えていなかったりする。
本当に申し訳ないとは思うけど、事実そうなってしまうので、ちゃんと身を入れて聞きたい気持ちはあるのに、自分でもどうしようもなくて困っていた。
苦手なことをなぜ苦手なのか深掘りすると、自分の新たな一面に気付けたり、実は苦手な理由が別のところにあったりと新しい発見があるという話を聞いたので、深掘ってみようと思った。
なぜ人の話をちゃんと聞けないのか
さすがに、いつもいつでも人の話を聞けないわけではない。
上手い下手は別にして人と話すのは好きだし、友達や後輩と話している時、もっと聞きたい部分があれば質問するし、上司との面談もわりと楽しくやっている。
よく作業をしながらラジオ的な動画を聞いていたりもするけど、それはBGMみたいなもので少し違うか。
じゃあ、興味のない人や仲良くない人の話だから耳に入って来ないのだろうか。
いや、好きな同僚のプレゼンでもビックリするほど頭に入って来ないこともあるから(ごめん)、別にスピーカーへの興味や親密度に比例しているわけでもなさそう。
内容に興味がないから?それは多少あるかもしれない。
でも興味がなくてもテストのヒントとか仕事のプレゼンとか、自分にとって必要なことだったらもう少し聞けるはずだし、肉の部位には興味はあるのでちょっと違う気がする。
一冊の本との出会い
そんな折、たまたま『プレゼンテーション Zen』という本を読んだ。
日本の「禅」の精神を基にして、簡潔でシンプルに、人の心をグッと掴むプレゼンテーションのコツがわかる本。
多くの人がやってしまうプレゼンの課題に対して具体的な改善方法を提案している。画像も豊富で、読み物としても普通に面白く、ビジネスマン以外にもおすすめ。
一見、人の話を聞くことと関係なさそうに思えるだろうけど、まあ聞いてほしい。
この本では「多くの人はスライドに情報を幕の内弁当みたいに詰めすぎている、スライドはあくまで話し手のビジュアル的なサポートをするものだ」という主張をしていて、そこにこんな一節があった。
確かに。
思えば私が人の話を聞くのを苦痛に感じる時、同時に何かを見なければならないシチュエーションが多いような気がする。
一番多いのが、まさに会社で人のプレゼンや説明を聞く時だ。
資料が投影されると、あっ!文字だ!読まなきゃ!と無意識に目は文字を追い始め、内容を頭に叩き込もうとする。しかしそこで耳から人の話が入ってくると、目から耳から情報がバラバラに入ってきて大渋滞を起こすし、しかも人がスライドを読み上げるのよりも目で文字を追う方がどう考えても速いので、右足は徒歩なのに左足だけローラーシューズみたいな変な感じになり、どちらも中途半端にしか理解できなくて、でもページはどんどんめくられてしまって、焦りで更に処理能力が落ちて、私は途中で話に着いていくことを諦めてしまうのだった。
ちなみに、弊社のプレゼン資料は情報がギッッッチギチに詰め込まれている。全日本スライド詰め込み大会があったら優勝間違いなしだ。
更にこの本によれば「人は読むことと聞くことを同時にはこなせない」。
見ながら聞くのが苦手なのは私だけでないとわかり、少し安心した。私はただそれが人一倍苦手なだけなのかもしれない。
でも会社の皆は人のプレゼンをちゃんと聞いているように見える。聞くか見るかどっちかに全振りしているのか? 聞いているふりが上手いのか?
また、私は聴覚よりも遥かに視覚に偏ったタイプだ。
そこで視覚情報(資料)と聴覚情報(説明)が同時に提供された時、視覚情報=スライドを読むことを優先したくなってしまって、結果、説明の方をノイズと認識してしまうんじゃないだろうか。
まとめとこれから
「プレゼンうまくなりたいな」と思って読んだ、一見全く関係なさそうな本がヒントになって、一つの仮説が立った。こんなこともあるんですね。
ずっとモヤモヤしていたものが少しスッキリしたし、今は自分のことが少しわかりそうな予感がある。
苦手なことや嫌いなものがある人は、理由を深掘りしてみると何か見つかるんじゃないかな。
しばらくはこの仮説を念頭に置いて過ごしてみて、これからどうしていくか考えていこうと思う。
人の話をちゃんと聞けるようになる日も近い…かもしれない。