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救いを失うことはあるのか
はじめに
一度救われた人は、もはや救いを失うことはない。
そんな教えが主流派を占めるようになりました。
これは本当でしょうか。
ご一緒に、聖書から調べてみましょう。
救いの確定を教えているように見える箇所
ヨハネの福音書
10:28 わたしは、彼らに永遠の命を与える。だから、彼らはいつまでも滅びることがなく、また、彼らをわたしの手から奪い去る者はない。
ローマ人への手紙
8:39 高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである。
これらの箇所から、私たちはすでに救われており、天国行きが確定しているのだと教える人たちがいます。
本当でしょうか。
ここでいったん、教派の教えや神学を脇に置いて、聖書を確認してみましょう。
そもそも、聖書は、救いはいつ起こると教えているでしょうか。
救いはいつ起こるのか
マタイの福音書
10:22 また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人々に憎まれます。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。
コリント人への手紙 第一
15:2 もしあなたがたが、いたずらに信じないで、わたしの宣べ伝えたとおりの言葉を固く守っておれば、この福音によって救われるのである。
ヘブル人への手紙
3:14 もし最初の確信を、最後までしっかりと持ち続けるならば、わたしたちはキリストにあずかる者となるのである。
ピリピ人への手紙
2:12 わたしの愛する者たちよ。そういうわけだから、あなたがたがいつも従順であったように、わたしが一緒にいる時だけでなく、いない今は、いっそう従順でいて、恐れおののいて自分の救の達成に努めなさい。
ヨハネの黙示録
2:26 勝利を得る者、わたしのわざを最後まで持ち続ける者には、諸国民を支配する権威を授ける。
一部だけを紹介しましたが、最後まで耐え忍んだ者が救われる、というのが聖書の教えです。
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では、救われたとは?
確かに、パウロ書簡の一部には、救いが過去形で書かれている箇所があります。
エペソ人への手紙
2:8 あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。
なぜ過去形なのでしょうか。
それは、私たちの状態が、御子との婚約や、接ぎ木に例えられるからです。
私たちはすでに婚約状態にあり、接ぎ木されています。永遠の命を生き始めているのです。
パウロはこれを「救われた」と書いているのです。
この道を従順に歩み続けるなら、私たちはやがて実を結び、婚宴に至ります。
しかし、その救いは確定しているのでしょうか。
救いは確定しているのか
聖書は次のように教えています。
ペテロの手紙 第二
2:20 彼らが、主また救主なるイエス・キリストを知ることにより、この世の汚れからのがれた後、またそれに巻き込まれて征服されるならば、彼らの後の状態は初めよりも、もっと悪くなる。
テモテへの手紙 第一
4:1 しかし、御霊は明らかに告げて言う。後の時になると、ある人々は、惑わす霊と悪霊の教とに気をとられて、信仰から離れ去るであろう。
ヨハネの福音書
15:2 わたしにつながっている枝で実を結ばないものは、父がすべてこれをとりのぞき、実を結ぶものは、もっと豊かに実らせるために、手入れしてこれをきれいになさるのである。
ローマ人への手紙
11:22 神の慈愛と峻厳とを見よ。神の峻厳は倒れた者たちに向けられ、神の慈愛は、もしあなたがその慈愛にとどまっているなら、あなたに向けられる。そうでないと、あなたも切り取られるであろう。
テサロニケ人への手紙 第一
5:19 御霊を消してはいけない。
ヘブル人への手紙
10:26 もしわたしたちが、真理の知識を受けたのちにもなお、ことさらに罪を犯しつづけるなら、罪のためのいけにえは、もはやあり得ない。
10:27 ただ、さばきと、逆らう者たちを焼きつくす激しい火とを、恐れつつ待つことだけがある。
ルカの福音書
8:13 岩の上に落ちたのは、御言を聞いた時には喜んで受けいれるが、根が無いので、しばらくは信じていても、試錬の時が来ると、信仰を捨てる人たちのことである。
コリント人への手紙 第一
9:27 すなわち、自分のからだを打ちたたいて服従させるのである。そうしないと、ほかの人に宣べ伝えておきながら、自分は失格者になるかも知れない。
ヨハネの黙示録
3:15 わたしはあなたのわざを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。
3:16 このように、熱くもなく、冷たくもなく、なまぬるいので、あなたを口から吐き出そう。
聖書は、救いの確定を教えてはいません。
救いが確定していると教えるのは、一部の牧師や神学者たちだけです。
それは明らかに聖書の教えと違います。
この間違った教えのために、多くのクリスチャンが眠らされているのです。
本物のクリスチャン
本物のクリスチャンは、聖書に書かれたとおり、恐れおののいて自分の救いの達成に努めています(ピリピ2:12)。
怒りや妬みを持つ人は神の国を相続できない(ガラテヤ5:20)という聖書の言葉を、彼らは忠実に受け取り、そこから抜け出そうと、熱心に悔い改め、癒やしを求めているのです。
主を愛するあまり、そうせずにはいられないのです。
これこそが、本当に主を愛し、信仰を持つ人の姿です。
ヨハネの手紙 第一
5:3 神を愛するとは、すなわち、その戒めを守ることである。そして、その戒めはむずかしいものではない。
私たちも、これを見習わねばなりません。
このような人だけが、実を結ぶに至ると聖書は教えています。
ルカの福音書
8:15 良い地に落ちたのは、御言を聞いたのち、これを正しい良い心でしっかりと守り、耐え忍んで実を結ぶに至る人たちのことである。
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おわりに
どんなに優れた医者であっても、患者のほうが言うことを聞かないなら、その人を救えません。
救いの確定を教える神学は、甘美ではあっても、危険なものです。永遠の命について、正しく教えていないからです。
御言葉を聞いたなら、正しい良い心で、しっかりと守り、耐え忍んで実を結ぶ人になりましょう。
ヨハネの手紙 第一
3:15 あなたがたが知っているとおり、すべて兄弟を憎む者は人殺しであり、人殺しはすべて、そのうちに永遠のいのちをとどめてはいない。
幼子のように、御言葉を受け取れたでしょうか。
今、人の教えを捨てて、聖書に立ち返りましょう。
正しいのは、いつだって聖書だからです。
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