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不法とは
はじめに
「不法」と聞くと、私たち日本人は犯罪を連想します。
しかし、聖書のいう「不法」は、それとは少し違います。
聖書のいう「不法」とは何でしょう。
これを正しく知ることで、聖書が格段に読みやすくなります。
ご一緒に確認してみましょう。
罪と不法の関係
「不法」とは、ギリシャ語で「アノミア」。
直訳すると、「法に違反すること」です。
似た言葉に、「罪(ハマルティア)」という言葉があります。
「罪(ハマルティア)」と「不法(アノミア)」は、どう違うのでしょうか。
同じです。
聖書は、その二つを同じものだと教えています。
ヨハネの手紙 第一
3:4 すべて罪を犯す者は、不法を行う者である。罪は不法である。
法に違反することが罪だと聖書は教えているのです。
では、どの法に違反することが不法であり、罪なのでしょうか。
日本国憲法でしょうか。
もちろん違いますね。
どの法に違反することが不法なのか
私たちの守るべき法とは何でしょう。
イエス様は次のように答えられました。
ルカの福音書
18:18 また、ある役人がイエスに尋ねた、「よき師よ、何をしたら永遠の生命が受けられましょうか」。
18:19 イエスは言われた、「なぜわたしをよき者と言うのか。神ひとりのほかによい者はいない。
18:20 いましめはあなたの知っているとおりである、『姦淫するな、殺すな、盗むな、偽証を立てるな、父と母とを敬え』」。
それは十戒です。
不法とは、永遠の律法である十戒を守らないことです。
一方、これに逆らって、モーセ律法まで守らせようとする人がいます。
使徒の働き
15:5 ところが、パリサイ派から信仰にはいってきた人たちが立って、「異邦人にも割礼を施し、またモーセの律法を守らせるべきである」と主張した。
このことは明確に否定されていることを覚えてください。
不法とは、十戒を守らないことです。
それが聖書の教える罪なのです。
不法を行う人はどうなるか
イエス様は次のように宣言しています。
マタイの福音書
7:23 そのとき、わたしは彼らにはっきり、こう言おう、『あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ』。
十戒を守らない人は、追い出されてしまうのです。
聖書は何度もこのことを教えています。
マタイの福音書
13:41 人の子はその使たちをつかわし、つまずきとなるものと不法を行う者とを、ことごとく御国からとり集めて、
13:42 炉の火に投げ入れさせるであろう。そこでは泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。
人の過ちを責めているのではありません。
責められているのは、不法の精神です。
十戒に服従せず、父の御心のとおりに歩もうとしない人に対して、警告が発せられているのです。
十戒を守らない時代が来る
現代、「十戒は終わった」とか、「十戒はユダヤ人のものだ」と主張する人たちが現れ、いつの間にか主流派となってしまいました。
これは聖書に預言されていたことです。
マタイの福音書
24:11 また多くのにせ預言者が起って、多くの人を惑わすであろう。
24:12 また不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えるであろう。
十戒を守らない者が主流となる、そう教えられていたのです。
マタイの福音書
7:13 狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。
いつの時代も、滅びに至る門が大きな口を開けて、たくさんのクリスチャンを呑み込もうとしていることを覚えてください。
不法の秘密
不法の秘密について聞いたことはあるでしょうか。
テサロニケ人への手紙 第二
2:7 不法の秘密の力が、すでに働いているのである。ただそれは、いま阻止している者が取り除かれる時までのことである。
原文では「不法の奥義(ムステリオン)」です。
聖書が「奥義(ムステリオン)」と言うとき、それは教会を指します。
すると不法の奥義とは何でしょう。
それは十戒を守らない教会のことです。
大淫婦バビロンと呼ばれるものがそうです。
ヨハネの黙示録
17:5 その額には、一つの名がしるされていた。それは奥義であって、「大いなるバビロン、淫婦どもと地の憎むべきものらとの母」というのであった。
聖書はずっと、十戒を守らない教会の出現を預言していたのです。
十戒を守らない教会
それは古代ローマから出現しました。
テサロニケ人への手紙 第二
2:9 不法の者が来るのは、サタンの働きによるのであって──
ローマ皇帝の改宗によって異教の文化や哲学を取り入れたローマカトリックが誕生し、「偶像を造ってはならない」「安息日を聖とせよ」などの戒めが破壊されました。
その一部は宗教改革によって修復されたものの、いまだに日曜礼拝が安息日の代わりに行われています。
この状況を、神様はどのように見ておられるでしょうか。
ヨハネの福音書
8:47 神からきた者は神の言葉に聞き従うが、あなたがたが聞き従わないのは、神からきた者でないからである」。
私たちが十戒を守らない理由は何一つありません。
何に従うかによって、私たちは自らの主人を決めているのです。
不法の奥義に従うならバビロンに属し、
神の奥義に従うなら天国に属する。
このことをしっかりと覚えてください。
おわりに
不法とは、十戒を守らないことです。
これを明確にするだけで、たくさんの真実が見えてくるはずです。
テサロニケ人への手紙に書かれた不法の奥義は、もう完成しています。
今は、ここから出るときです。
ヨハネの黙示録
18:4 わたしはまた、もうひとつの声が天から出るのを聞いた、「わたしの民よ。彼女から離れ去って、その罪にあずからないようにし、その災害に巻き込まれないようにせよ。
この言葉を真剣に受け止めた人たちが、次々に聖書に立ち返りはじめています。
私もその一人です。
あなたはどうでしょうか。
あなたにとって、一番大切なことは何でしょうか。
ヨハネの手紙 第一
5:3 神を愛するとは、すなわち、その戒めを守ることである。そして、その戒めはむずかしいものではない。
偽りの教えを捨てて、聖書に立ち返りましょう。
正しいのは、いつだって聖書だからです。
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