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「大患難」と「御怒り」の違い

はじめに

現代、多くのクリスチャンが、「大患難」「神の御怒みいかり」を混同しています。

そのために、ある間違った教理を信じさせられています。

聞く耳のある人は、どうか聞いてください。

封印された巻物

かつて、終末についての詳しい預言は、終わりのときまで封印されていました。

ダニエル書
12:4 ダニエルよ、あなたは終わりの時までこの言葉を秘密にし、その書物を封印せよ。多くの人々は探求して知識を増やす。」

聖書協会共同訳2018

この封印された書は、ヨハネの黙示録に出て来ます。

ヨハネの黙示録
5:1 わたしはまた、御座にいますかたの右の手に、巻物があるのを見た。その内側にも外側にも字が書いてあって、七つの封印で封じてあった

まず、巻物の内側だけでなく、外側にも字が書いてあることに注意してください。
子羊が封印を一つ解くたびに、その外側の文字が少しずつ見えてくるのです。

ヨハネの黙示録
6:1 小羊がその七つの封印の一つを解いた時、わたしが見ていると、四つの生き物の一つが、雷のような声で「きたれ」と呼ぶのを聞いた。

封印を一つ解くたびに、が一つ現れる。
この構造がわからなければ、決して黙示録を正しく読むことはできません。

封印が解かれるたびに出てくる幻は、外側に書かれた文字であって、巻物の中身ではないのです。
巻物の中身は、七つの封印が全部解かれた八章以降に登場します。

それまでの幻は、巻物のあらすじ、終末に起こる出来事のダイジェストであることを覚えてください。

御怒みいかりの日

子羊が第六の封印を解いたとき、初めて御怒みいかり」という言葉が登場します。

ヨハネの黙示録
6:12 また、小羊が第六の封印を解いたとき、私が見ていると、大地震が起きた。太陽は毛織の粗布のように暗くなり、月は全体が血のようになって、
6:13 天の星は地上に落ちた。まるで、いちじくの青い実が、大風に揺さぶられて振り落とされるようであった。
6:14 天は巻物が巻き取られるように消え去り、山も島も、みなその場所から移された。
6:15 地上の王、高官、将校、富める者、力ある者、また、すべての奴隷も自由人も洞穴や山の岩間に身を隠した。
6:16 そして、山と岩に向かって言った。「私たちの上に覆いかぶさって、玉座におられる方の顔と小羊の怒りから、私たちをかくまってくれ。
6:17 神と小羊の大いなる怒りの日が来たのだ。誰がそれに耐えられようか。」

聖書協会共同訳2018

これは滅びの日のダイジェストです。

この「大いなる怒りの日」については、昔から何度も預言されてきました。

ヨエル書
2:10 彼らの前に地はおののき、天は震えた。/太陽も月も陰り、星はその輝きを失った
2:11 主はご自分の軍勢の前に声をとどろかされる。/この陣営は並外れて大きく/御言葉を行う者は力強い。/主の日は大いなる日で/甚だ恐ろしい。/ 誰がこれに耐えられよう。

聖書協会共同訳2018

ここに重要なキーワードがあります。
それは「太陽、月、星が暗くなる」という言葉です。

これは常に、御怒みいかりの日を表すキーワードとして使われてきました。

イザヤ書
13:9 見よ、主の日が来る。残忍で、憤りと激しい怒りとをもってこの地を荒し、その中から罪びとを断ち滅ぼすために来る。
13:10 天の星とその星座とはその光を放たず、太陽は出ても暗く、月はその光を輝かさない

ヨエル書
2:31 主の大いなる恐るべき日が来る前に、日は暗く、月は血に変る

アモス書
5:20 主の日は暗くて、光がなく、薄暗くて輝きがないではないか。

ゼパニヤ書
1:14 主の大いなる日は近い、近づいて、すみやかに来る。主の日の声は耳にいたい。そこに、勇士もいたく叫ぶ。
1:15 その日は怒りの日、なやみと苦しみの日、荒れ、また滅びる日、暗く、薄暗い日、雲と黒雲の日
1:16 ラッパとときの声の日、堅固な町と高いやぐらを攻める日である。

ヨエル書
3:14 群衆また群衆は、さばきの谷におる。主の日がさばきの谷に近いからである。
3:15 日も月も暗くなり、星もその光を失う

このように、「太陽、月、星が暗くなる」というキーワードによって、聖書は何度も御怒みいかりの日について言及してきたのです。

この日がしゅの日」とも呼ばれる理由は、これが再臨の日でもあるからです。

大患難と御怒みいかりの違い

まずは、大患難についてのしゅの言葉を見てみましょう。

マタイの福音書
24:21 その時には、世の初めから現在に至るまで、かつてなく今後もないような大きな患難が起るからである。
24:22 もしその期間が縮められないなら、救われる者はひとりもないであろう。しかし、選民のためには、その期間が縮められるであろう。

これが「大患難」です。
この期間が縮められないなら、救われる者はひとりもないというほどの激しい期間であり、選民のためにその期間が縮められるというのです。

この患難ののち、どうなるとしゅは言っておられるでしょうか。

マタイの福音書
24:29 しかし、その時に起る患難の後、たちまち日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、星は空から落ち、天体は揺り動かされるであろう
24:30 そのとき、人の子のしるしが天に現れるであろう。またそのとき、地のすべての民族は嘆き、そして力と大いなる栄光とをもって、人の子が天の雲に乗って来るのを、人々は見るであろう

聖書が何度も語ってきた、御怒みいかりの日しゅの日が来るのです。
「大患難ののち」にです。

このように、聖書は「大患難」御怒みいかりの日」をはっきりと書き分けていることを覚えてください。

大患難が一定の期間であるのに対し、御怒みいかりの日はたった一日で臨むのです。

ペテロの手紙 第二
3:10 しかし、主の日は盗人のように襲って来る。その日には、天は大音響をたてて消え去り、天体は焼けてくずれ、地とその上に造り出されたものも、みな焼きつくされるであろう。

患難前携挙説

「大患難」「神の御怒みいかり」を混同して生まれた説、
それが患難前携挙説です。

テサロニケ人への手紙 第一
1:10 ──この御子こそ、神が死者の中からよみがえらせた方、やがて来る御怒りから私たちを救い出してくださるイエスです。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

よく見てください。
「やがて来る御怒みいかり」から私たちを救い出してくださるのであって、「大患難から」ではありません。

キリストが言われたように、「患難ののち」しゅが来られ、地上に御怒みいかり」が臨むというのが、聖書の教える順番です。

ヨハネの黙示録
14:14 また見ていると、見よ、白い雲があって、その雲の上に人の子のような者が座しており、頭には金の冠をいただき、手には鋭いかまを持っていた。
14:15 すると、もうひとりの御使が聖所から出てきて、雲の上に座している者にむかって大声で叫んだ、「かまを入れて刈り取りなさい。地の穀物は全く実り、刈り取るべき時がきた」。
14:16 雲の上に座している者は、そのかまを地に投げ入れた。すると、地のものが刈り取られた。
14:17 また、もうひとりの御使が、天の聖所から出てきたが、彼もまた鋭いかまを持っていた。
14:18 さらに、もうひとりの御使で、火を支配する権威を持っている者が、祭壇から出てきて、鋭いかまを持つ御使にむかい、大声で言った、「その鋭いかまを地に入れて、地のぶどうのふさを刈り集めなさい。ぶどうの実がすでに熟しているから」。
14:19 そこで、御使はそのかまを地に投げ入れて、地のぶどうを刈り集め、神の激しい怒りの大きな酒ぶねに投げ込んだ。

これより前にしゅが私たちを集めるとは、聖書のどこにも書かれていません。

それどころか、世の終わりまで、麦や毒麦が集められることは決してないのだと教えられています。

マタイの福音書
13:30 収穫まで、両方とも育つままにしておけ。収穫の時になったら、刈る者に、まず毒麦を集めて束にして焼き、麦の方は集めて倉に入れてくれ、と言いつけよう』」。
(途中省略)
13:39 ──収穫とは世の終りのことで、刈る者は御使たちである。

おわりに

「大患難」「神の御怒みいかり」の違いをおわかりいただけたでしょうか。

はっきり言いましょう。
私たちは大患難を通ります。そう聖書に書いてあるからです。

ヨハネの黙示録
7:14 ──彼らは大きな患難をとおってきた人たちであって、その衣を小羊の血で洗い、それを白くしたのである。

もう、人の教えに惑わされてはいけません。
聖書の教えに目を向けて、大患難に立ち向かってください。
臆病な者の報いは火の池だと書いてあるとおりです(黙示録21:8)。

間違った教えを捨て、聖書の真理を受け入れましょう。
正しいのは、いつだって聖書だからです。

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