はじめに
現代、多くのクリスチャンが、「大患難」と「神の御怒り」を混同しています。
そのために、ある間違った教理を信じさせられています。
聞く耳のある人は、どうか聞いてください。
封印された巻物
かつて、終末についての詳しい預言は、終わりのときまで封印されていました。
この封印された書は、ヨハネの黙示録に出て来ます。
まず、巻物の内側だけでなく、外側にも字が書いてあることに注意してください。
子羊が封印を一つ解くたびに、その外側の文字が少しずつ見えてくるのです。
封印を一つ解くたびに、幻が一つ現れる。
この構造がわからなければ、決して黙示録を正しく読むことはできません。
封印が解かれるたびに出てくる幻は、外側に書かれた文字であって、巻物の中身ではないのです。
巻物の中身は、七つの封印が全部解かれた八章以降に登場します。
それまでの幻は、巻物のあらすじ、終末に起こる出来事のダイジェストであることを覚えてください。
御怒りの日
子羊が第六の封印を解いたとき、初めて「御怒り」という言葉が登場します。
これは滅びの日のダイジェストです。
この「大いなる怒りの日」については、昔から何度も預言されてきました。
ここに重要なキーワードがあります。
それは「太陽、月、星が暗くなる」という言葉です。
これは常に、御怒りの日を表すキーワードとして使われてきました。
このように、「太陽、月、星が暗くなる」というキーワードによって、聖書は何度も御怒りの日について言及してきたのです。
この日が「主の日」とも呼ばれる理由は、これが再臨の日でもあるからです。
大患難と御怒りの違い
まずは、大患難についての主の言葉を見てみましょう。
これが「大患難」です。
この期間が縮められないなら、救われる者はひとりもないというほどの激しい期間であり、選民のためにその期間が縮められるというのです。
この患難ののち、どうなると主は言っておられるでしょうか。
聖書が何度も語ってきた、御怒りの日、主の日が来るのです。
「大患難ののち」にです。
このように、聖書は「大患難」と「御怒りの日」をはっきりと書き分けていることを覚えてください。
大患難が一定の期間であるのに対し、御怒りの日はたった一日で臨むのです。
患難前携挙説
「大患難」と「神の御怒り」を混同して生まれた説、
それが患難前携挙説です。
よく見てください。
「やがて来る御怒り」から私たちを救い出してくださるのであって、「大患難から」ではありません。
キリストが言われたように、「患難ののち」に主が来られ、地上に「御怒り」が臨むというのが、聖書の教える順番です。
これより前に主が私たちを集めるとは、聖書のどこにも書かれていません。
それどころか、世の終わりまで、麦や毒麦が集められることは決してないのだと教えられています。
おわりに
「大患難」と「神の御怒り」の違いをおわかりいただけたでしょうか。
はっきり言いましょう。
私たちは大患難を通ります。そう聖書に書いてあるからです。
もう、人の教えに惑わされてはいけません。
聖書の教えに目を向けて、大患難に立ち向かってください。
臆病な者の報いは火の池だと書いてあるとおりです(黙示録21:8)。
間違った教えを捨て、聖書の真理を受け入れましょう。
正しいのは、いつだって聖書だからです。
(気に入った記事はSNSでシェアしていただければ幸いです)
こちらの記事も参考にどうぞ。