はじめに
キリストが何のために死んだのか、皆さんは聖書のとおりに答えられるでしょうか。
聖書には、大きく四つの理由が書かれています。
その四つを受け入れた人だけが、本物のクリスチャンといえます。
今、本物のクリスチャンとなるために、聖書からその理由を確認してみましょう。
その1 私たちの律法違反を贖うため
キリストが死なれたのは、私たちの律法違反を贖うためでした。
このおかげで、私たちは新しい契約に入ることができるのです。
その新しい契約を、皆さんは受け入れているでしょうか。
その新しい契約とは、心に神の律法が書きつけられるというものです。
こうして、私たちは律法に従う心をいただくのです。
これこそが、キリストが死なれた理由です。
この「義とされる」という言葉を、皆さんはどのように捉えているでしょうか。
多くのクリスチャンが、次のように教え込まれています。
「私たちは無罪とされたので、もはや神の戒めを守らなくてもよくなった」
しかし、聖書の教えはそうではありません。
その2 私たちが罪を離れ、義に生きるため
キリストは、私たちが罪を離れ、義に生きるために死なれました。
このことを受け入れないなら、決して悪魔の支配から逃れることはできません。
キリストが来られたのは、罪という悪魔のわざを打ち破るためなのです。
このように、心に律法を書きつけられた人は、罪(律法違反)を犯しません。
「義とされる」とは、決して、神の戒めを守らなくてもよくなることではありません。
「義とされる」とは、罪に捕らわれていた私たちが、神の戒めを守れるようになることです。
これが「義とされる」ということです。
この恵みを受け取るには、伝えられた教えの基準に心から聞き従う必要があります。
その基準とは何でしょう。
それは十戒です。これを聖書は「神の戒め」と呼び、守るように教えているのです。
これに逆らうことを、聖書は「不法」と呼びます。
この不法から贖い出すために、キリストは死なれたことを覚えてください。
その3 私たちが主とともに生きるため
キリストが死なれたのは、私たちが主とともに生きるためです。
事実、私たちには助け主が与えられ、主とともに生きるようになります。
御霊は助け主(パラクレートス)と呼ばれ、私たちが神の戒めを守ることを助けてくれます。
これは新たな別の神を指すのではありません。
御霊なる助け主(パラクレートス)とは、イエス・キリストのことなのです。
私たちはこのことを悟らなければなりません。
このとおり、私たちのうちにおられる神は、イエス・キリストです。
だからこそ、この方はインマヌエルと呼ばれるのです。
その4 私たちが主のために生きるため
キリストが死なれたのは、私たちが主のために生きるためです。
このことを、あなたは受け入れているでしょうか。
かつての私は、クリスチャンでありながら、このことを受け入れていませんでした。
「すべてを捧げます」と口では言っていても、実際は自分のために生きていました。
多くの方が、同じような状態にあるのではないでしょうか。
それは本物のクリスチャンの姿ではありません。
本物なら「聖別」されているはずです。
人でも道具でも、聖別されたものは、もはや一般の用途に使うことはできません。
あなたは「聖別」を受け入れ、生ける神に仕える者となっているでしょうか。
これを受け入れた人は、もう、主と福音のために命を投げ出しています。
反対に、そうしない僕はどうなると教えられているでしょうか。
厳しく聞こえるかもしれませんが、これが聖書の教えなのです。
「行いは必要ない」そう聞いてきたかもしれません。
しかし、それは聖書の教えではないのです。そのような教えにしがみ付くなら、その人の最後は悲惨なものとなるでしょう。
今、幼子のように聖書の教えに向き合ってください。
「信じるだけで救われる」とは、聖書は教えていません。
私たちは目を覚まし、本当の教えに立ち返る必要があるのです。
おわりに
キリストが何のために死んだのか、おわかりいただけたでしょうか。
それは、私たちの律法違反を贖うため。
それは、私たちが罪を離れ、義に生きるため。
それは、私たちが主とともに生きるため。
それは、私たちが主のために生きるため。
これらすべての恵みを受け取った人だけが、救いに与るのです。
一つでも拒絶するなら、その人は暗闇で泣いて歯ぎしりすることになるでしょう。
そもそも、考えてみてください。
この中に、一つでも悪いものがあるでしょうか。一つでも損になるものがあるでしょうか。
私たちを愛し、幸いな者とするために、キリストは死んでくださったのです。
もう、この方の死を無駄にしてはいけません。
聖書の教えを余さず信じ、受け入れる者となりましょう。
私の言うことを信じなくても構いません。
このブログにも間違いはあるでしょう。
人の教えをすべて捨て去って、聖書を信じてください。
正しいのは、いつだって聖書だからです。
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