はじめに
あなたがクリスチャンなら、キリスト・イエスを通して、どんな国の人でも救いに与ることを知っていると思います。
ではなぜ、異邦人にも救いが及ぶようになったのでしょうか。
また、どのような人がその救いに与るのでしょうか。
実のところ、多くの人がこれを知らなかったり、間違った教えを信じたりしています。
とても重要なことですから、聖書から確認してみましょう。
私たちが救いに与る理由
私たちが救いに与る理由は、アブラハム契約が異邦人に及ぶからです。
アブラハムの受けた祝福とは何でしょう。
次のように書いてあります。
じつにこのおかげで、私たちは救いに与ることができるのです。
そして一般に、この契約は「無条件」だと教えられています。
無条件──、それは本当でしょうか。
それならなぜ、「あなたがわたしの言葉に従ったからである」と書いてあるのでしょうか。
アブラハム契約に条件はないのか
多くの神学者が、なぜ「無条件」と言うのかは分かりませんが、道に迷ったとき、私たちにはいつも聖書があります。
アブラハム契約が与えられた理由は、アブラハムが神の戒めを守ったからだと書いてあります。
もしかしたら、神学者たちは、今も道に迷っているのかも知れません。
いずれにせよ、聖書に従う限り、私たちは正しい道に戻ることができます。
聖書によれば、アブラハムが神の戒めを守ったので、祝福が約束されたのです。
では、彼の守った戒めとは何でしょう。
少なくとも、その後430年たってできたモーセ律法のことでないのは確かです。
アブラハムが守ったのはモーセ律法ではありません。
彼が守ったのは、初めからあった律法、神の原則である、十戒です。
この律法はモーセの時代に石の板に書かれましたが、初めから守られていました。
カインがアベルを殺したとき、神様が咎めたのは、それが殺人の罪だからです。
ヨセフがポティファルの妻から言い寄られたとき、彼が逃げたのは、それが姦淫の罪だからです。
また、神様が安息日を聖別したのは、いつのことだったでしょうか。
このように、十戒はユダヤ人が現れるよりずっと前からありました。
この戒めを守ったので、アブラハムは契約を受けたのです。
救いに条件はないのか
アブラハムが契約を受けたのは、彼が神の戒めを守ったからでした。
では、その契約に与る私たちはどうなのでしょうか。
主は次のように教えます。
同じです。
命に入りたければ、十戒を守りなさい。それが主の教えです。
反対に、十戒を守らないならどうなるでしょう。
兄弟に対して怒ること、馬鹿にすること、赦さないこと、憎むことは、十戒のいう殺人に当たると聖書は教えます。
これらを見てなお、救いは「無条件」と言い続ける人を、一体誰が弁護することができるでしょうか。
どうやって神の戒めを守るのか
兄弟を憎むことは殺人です。
情欲の目で人を見ることは姦淫です。
妬むことさえ、隣人のものを欲することになるのです。
これらを聞いたとき、「ああ、そうだったのですね」といって、明日から変わることのできる人がいるでしょうか。
残念ながら、一人もいないのです。
私たちは、心の罪をコントロールすることができないからです。
では一体、何をどうすればいいのでしょうか。
罪との戦いを、私たちはどう戦ったらいいのでしょうか。
聖書は次のように教えます。
これが秘訣です。
私たちはつい、自分の力に頼ってしまいがちですが、神の霊によらず勝利する戦いなどないのです。
私たちは神に信頼し、落ち着いていればいいのです。
私たちの心を変えてくださるのは、神様です。
戒めを愛する心
昨今、十戒を嫌うクリスチャンが大勢います。
十戒は律法主義者のものであり、ユダヤ人のものであり、自分たちを束縛する鎖だと教えられているからです。
そのような教えに従っていては、決して罪からの解放はありません。
神の戒めを愛さずして、どうしてそれを守れるようになるでしょう。
罪からの解放は、戒めを愛することから始まります。
神の戒めこそが、私たちを罪から解放するための教科書だからです。
詩編119編を読んでみてください。これは心の119番通報です。
このような心を、私たちは取り戻す必要があるのです。
おわりに
異邦人の救いはアブラハム契約のゆえであり、それは神の戒めを守る人に与えられると聖書は教えます。
念のために言っておきますが、律法を守ることで救われるのではありません。
私たちはアブラハムと同様、信仰によって救われるのです。
すると「律法に従う心はありませんが、信仰ならあります」というクリスチャンがいます。
しかし、アブラハムがどれほどの信仰を持っていたかを思い出してください。
そんな彼の信仰に倣う人が、アブラハムの契約を受け継ぐのです。
アブラハムの中には、神のために捨てられないものなど一つもありませんでした。
信仰によって、どこまでも神に従ったのです。
だからこそ、彼は神の戒めを心から愛し、喜んでそれを守り行ったのです。
神の約束は、このような信仰を持つ人だけに与えられていることを覚えてください。
このブログを信じる必要はありません。
間違った教えをすべて捨て去って、聖書に立ち返りましょう。
正しいのは、いつだって聖書だからです。
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