新約を受ける方法
はじめに
聖書の中には「新約」と呼ばれる契約があります。
これは聖書の中で最も大切な契約とされており、この契約を神様と交わす人だけが救われると教えられています。
では一体、どうやって神様とこの契約を交わせばいいのでしょうか。
これについて、各教会の教えはバラバラです。
今、ご自身の目で聖書から確認してみましょう。
新約を受ける資格
まずはその文面を見てみましょう。
これが新約です。この契約は、イスラエルの家と立てる契約だと書かれています。
だとすると、異邦人はこの契約を受ける資格がないのでしょうか。
いいえ、キリストの血によって、誰でも新約を受けることができます。
これはどういう意味でしょうか。
聖書は次のように教えます。
ここに、大切なことがたくさん書かれています。
まず、異邦人であった私たちには、イスラエルの国籍がなく、神の契約に無関係の者でした。割礼がなく、モーセ律法も守っていなかったからです。
しかし、キリストが「数々の規定からなる戒めの律法」を廃棄したことで、隔ての壁は取り除かれました。
そのおかげで、キリストにある私たちは、もはや異国人でも宿り人でもなく、イスラエルの国籍を持つ者となったのです。
このことを理解したなら、新約の文面をもう一度見てみましょう。
「わたしの律法を彼らのうちに置き、その心にしるす」とあります。
これを理解しなければ、新約を受けることはできません。
この律法とは何でしょうか。
素直に考えれば、すぐに分かるはずです。
それは十戒です。
神の指によって書かれ、神の宮に納められた律法は、十戒のほかにないからです。
イエス様の教え
まずは覚えてください。
私たちをイスラエルと一つにするために、キリストは「数々の規定からなる戒めの律法」を廃棄しました。
一方、十戒については次のように教えられています。
なぜこれが十戒についての言葉だと分かるかといえば、この直後に、主は十戒の本当の守り方について教え、モーセ律法よりもこちらのほうを守るように教えているからです。
このように、レビ記や申命記に書かれた「数々の規定」を守るのではなく、十戒を心においても守りなさいというのが、キリストの教えです。
これを素直に受け取らなければ、いつまでもキリストと一致することはできません。
新約の必要性
新約の必要性とは何でしょう。
一体なぜ、新約が必要なのでしょうか。
それはずばり、私たちが自分の力では十戒を守ることができないからです。
このことを心から悟らない限り、新約を受けることはできません。
このような人は、決して天国に入ることはできないと主は教えます。
一方、十戒の規範に心から服従し、それを守る力が自分にはないことを徹底的に悟った人は、その力を神に求めることになります。
このような人にこそ、神は力を与えられます。それが新約です。
この新しい契約を受けた人は、もはや文字によってではなく、霊によって律法に仕えるようになるのです。
新約を受け取る準備
さて、これらの教えを受け入れることができたでしょうか。
新約をまだ受けていなかった人は、今、新約を受ける準備ができたかどうか、確認してみましょう。
あなたは、キリストが「数々の規定からなる戒めの律法」を廃棄したことで、肉体の割礼やモーセ律法がなくとも、イスラエルの国籍を持てることを信じますか?
「はい」と答えられないなら、新約を受ける準備はできていません。
次に、「十戒を心においても守りなさい」というキリスト・イエスの教えに服従しますか?
「はい」と答えられないなら、新約を受ける準備はできていません。
最後に、父の御心を行う者となるために、十戒が思いの中に入れられ、あなたが神の宮となることを望みますか?
「はい」と答えられないなら、新約を受ける準備はできていません。
しかし「はい」と答えるなら、あなたは直ちにこの契約を神と交わすことができます。
代金は一切必要ありません。あなたが拒絶さえしなければ、神様は誰とでもこの契約を交わしてくださるのです。
新約を受けた人は、新しく生まれ変わっています。もう、罪に仕える生活は終わり、義に仕える新しい生活が始まったのです。
おわりに
現代、新約を受けていないクリスチャンが大勢います。
十戒に服従せず、心に律法が書きつけられていないからです。
その原因は、律法とは無関係の救いを教える教会があるからです。
気をつけてください、それは次の聖句を曲解した、偽の教えです。
曲解して滅んでしまう前に、どうか一つ前の節を見てください。
この聖句は、律法の行いによって救われる者は一人もなく、ただ罪の自覚が生じるのみだと教えているのです。
だからこそ、それとは別に、イエス・キリストを信じる信仰によって、心に律法を書きつけてもらう必要があるのです。
その証拠に、聖句の結論を見てください。
もう、誰にも騙されないでください。
信仰は律法を確立するというのが聖書の教えです。
これに逆らって、律法を無効にするなら、滅びるしかありません。
一体、「わたしの律法を彼らのうちに置き、その心にしるす」という言葉を無視しながら、「新約を受けた」などと、どうして言えるでしょう。
私たちは今、幼子のようになって、聖書に立ち返るときに来ています。
多くの教会が、聖書とは全然違う教えを語っているからです。
このブログを信じる必要はありません。このブログにも間違いはあるでしょう。
ただ、聖書を信じてください。
正しいのは、いつだって聖書だからです。
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