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律法の文字からの脱却

はじめに

多くのクリスチャンが、「律法を全うする」と聞くと、モーセの書に書かれたことを文字どおりに行うことだと思ってしまいます。

そのせいで、ある人は律法を嫌い、ある人は律法に縛られて生きています。

けれど、神様が求めておられるのはそういうことではありません。

今日、神様が何を求めておられるのか、しっかりと聖書から読み取りましょう。

律法は今も私たちを支配するのか

まずは、律法が今も私たちを支配するかどうかを調べてみましょう。

ローマ人への手紙
7:1 それとも、きょうだいたち、私は律法を知っている人々に話しているのですが、律法とは、人を生きている間だけ支配するものであることを知らないのですか。
7:2 結婚した女は、夫の生存中は律法によって夫に結ばれているが、夫が死ねば、夫の律法から解放されます
7:3 ですから、もし夫の生存中、他の男のものになれば、姦淫の女と呼ばれますが、夫が死ねば、その律法から自由な身となり、他の男のものになっても姦淫の女とはなりません。
7:4 それと同じように、きょうだいたち、あなたがたも、キリストの体によって、律法に対して死んだのです。それは、あなたがたがほかの方、つまり、死者の中から復活させられた方のものとなり、私たちが神に対して実を結ぶようになるためなのです。
7:5 私たちが肉にあったときは、律法による罪の欲情が五体の内に働き、死に至る実を結んでいました。
7:6 しかし今は、私たちは、自分を縛っていた律法に対して死んだ者となり、律法から解放されました。その結果、古い文字によってではなく、新しい霊によって仕えるようになったのです。

聖書協会共同訳2018

このとおり、律法はもう、私たちを支配しません
私たちは律法に対して死んでおり、解放されており、自由な身となっているとはっきり書かれています。

すると、殺したり姦淫かんいんしたりしてもよくなったということでしょうか。
そんなことはありません。ここを間違うと、すべてが台無しになります(黙示録21:8)。

「古い文字によってではなく、新しい霊によって仕えるようになった」これが答えです。
文字に縛られず、霊によって歩くことで、私たちは律法の要求を満たすようになるのです。

ローマ人への手紙
8:4 これは律法の要求が、肉によらず霊によって歩くわたしたちにおいて、満たされるためである。

霊によって仕える

キリストが来るまでのあいだ、神の民は律法の文字によって統治されていました。律法それ自体が国家の法律だったのです。
ゆえに、土地の扱い方、奴隷の扱い方、生けにえの捧げ方、死刑のやり方など、すべて文字どおりに行う義務がありました。

出エジプト記
31:14 それゆえ、あなたがたは安息日を守らなければならない。これはあなたがたに聖なる日である。すべてこれを汚す者は必ず殺され、すべてこの日に仕事をする者は、民のうちから断たれるであろう。

しかし、キリストの到来によって、文字による統治は終わったのです。

ローマ人への手紙
10:4 キリストは律法の終わり(目標、ゴール)であり、信じる者すべてに義をもたらしてくださるのです。

聖書協会共同訳2018

ガラテヤ人への手紙
3:19 それでは、律法はなんであるか。それは違反を促すため、あとから加えられたのであって、約束されていた子孫が来るまで存続するだけのものであり、かつ、天使たちをとおし、仲介者の手によって制定されたものにすぎない。

こうして、律法が私たちを支配する時代は終わりました。
ゆえに、私たちは刑罰を恐れることなく、安心して神の御心みこころを行うことができるようになったのです。

そもそも、律法は初めから、文字に仕えることではなく、愛を実践することを目的としていました。

ガラテヤ人への手紙
5:14 律法の全体は、「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ」というこの一句に尽きるからである。

この本来の目的を、キリストは回復されたのです。

その一例を見てみましょう。

愛を実践するキリスト

マタイの福音書
12:1 そのころ、ある安息日に、イエスは麦畑の中を通られた。すると弟子たちは、空腹であったので、穂を摘んで食べはじめた。
12:2 パリサイ人たちがこれを見て、イエスに言った、「ごらんなさい、あなたの弟子たちが、安息日にしてはならないことをしています」。
12:3 そこでイエスは彼らに言われた、「あなたがたは、ダビデとその供の者たちとが飢えたとき、ダビデが何をしたか読んだことがないのか。
12:4 すなわち、神の家にはいって、祭司たちのほか、自分も供の者たちも食べてはならぬ供えのパンを食べたのである。
12:5 また、安息日に宮仕えをしている祭司たちは安息日を破っても罪にはならないことを、律法で読んだことがないのか。
12:6 あなたがたに言っておく。宮よりも大いなる者がここにいる。
12:7 『わたしが好むのは、あわれみであって、いけにえではない』とはどういう意味か知っていたなら、あなたがたは罪のない者をとがめなかったであろう。
12:8 人の子は安息日の主である」。

イエス様は、安息日であろうと歩き回り、弟子たちに食べさせ、人を癒やしました。そのたびに、パリサイ派の人々から安息日違反だと言ってとがめられたのです。

けれど、安息日を制定されたのはイエスご自身です。安息日をどのように過ごすべきかは、人ではなく、しゅがお決めになることです。

それで安息日のしゅは言いました。「私が好むのはあわれみであって、生けにえではない」と。

皆さんは、これがどういう意味かわかるでしょうか。

私が好むのはあわれみであって、生けにえではない

これはホセア書からの引用です。

ホセア書
6:6 わたしはいつくしみを喜び、犠牲を喜ばない。燔祭よりもむしろ神を知ることを喜ぶ。

口語訳聖書

「いつくしみ」と訳すと、上の者が下の者に向ける慈悲のように感じてしまいますが、原文にはそのような意味はありません。
これは真実の愛を表す言葉です。

ホセア書
6:6 わたしが喜びとするのは真実の愛。いけにえではない。全焼のささげ物よりむしろ、神を知ることである。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

すなわち、神を知り、真に愛することを、神様は喜ばれるというのです。
文字どおりの生けにえでなく、愛のささげ物を、しゅは求めておられるのです。

ヘブル人への手紙
13:15 だから、わたしたちはイエスによって、さんびのいけにえ、すなわち、彼の御名をたたえるくちびるの実を、たえず神にささげようではないか。
13:16 そして、善を行うことと施しをすることとを、忘れてはいけない。神は、このようないけにえを喜ばれる。

このようなことを、しゅは安息日に行っていたのです。

私たちも、文字そのものではなく、神様が本当は何をしてほしかったのかを読み取らなければなりません。
そうして、神の力によって、律法の本来の要求を守っていくのです。
それが、文字によらず、霊によって仕えるということです。

コリント人への手紙 第二
3:6 神はわたしたちに力を与えて、新しい契約に仕える者とされたのである。それは、文字に仕える者ではなく、霊に仕える者である。文字は人を殺し、霊は人を生かす

安息日に人を助けたり、空腹を満たしてあげたり、治療してあげたりすることは、決して罪とはなりません。むしろ、それこそが、律法の要求を満たす本当の過ごし方なのです。「どんな仕事もしてはならない」という文字に支配されるなら、決してイエス様のような歩みはできないことを覚えてください。

それからもう一つ。
文字によらないというのと、安息日を無視するのとは、まったく別の態度であることを覚えてください。
安息日を無視するなら、文字によらないばかりか、霊によっても仕えていません

マルコの福音書
2:27 また彼らに言われた、「安息日は人のためにあるもので、人が安息日のためにあるのではない。

安息日は、神の民であることの「しるし」です(エゼキエル20:20)。私たちが神だけに従い、やがて神の安息に入るという約束を信じていることのあかなのです。

ヘブル人への手紙
4:9 こういうわけで、安息日の休みが、神の民のためにまだ残されているのである。

ですから、安息日に良いことをして、御心みこころのとおりに過ごしましょう。

マタイの福音書
12:12 人は羊よりも、はるかにすぐれているではないか。だから、安息日に良いことをするのは、正しいことである」。

イエス様が安息日について教えなかったというのは、現代の牧師が考えた真っ赤なうそです。
「安息日は人のためにあり、その日に良いことをするのが正しい」とイエス様は言われました。

この言葉に従って、今日から、古い文字によってではなく、新しい霊によって仕える者となりましょう。

おわりに

神様が私たちに何を求めておられるか、なんとなく見えてきたでしょうか。

「文字は人を殺し、霊は人を生かす」
神様は、律法を文字どおりに行うことを喜ばれるのではありません。
それが何を目的としていたのかを悟り、キリストが歩まれたように歩むことを求めておられるのです。

すると、
「キリストは割礼を受けていたのだから、私も割礼を受けるのだ」という人もいるでしょう。
「キリストはを食べなかったのだから、あなたもを食べてはいけない」という人もいるでしょう。

本当に、聖書はそう言っていますか?

ガラテヤ人への手紙
5:1 自由を得させるために、キリストはわたしたちを解放して下さったのである。だから、堅く立って、二度と奴隷のくびきにつながれてはならない。
5:2 見よ、このパウロがあなたがたに言う。もし割礼を受けるなら、キリストはあなたがたに用のないものになろう。
5:3 割礼を受けようとするすべての人たちに、もう一度言っておく。そういう人たちは、律法の全部を行う義務がある

ローマ人への手紙
14:14 わたしは、主イエスにあって知りかつ確信している。それ自体、汚れているものは一つもない。ただ、それが汚れていると考える人にだけ、汚れているのである。
14:15 もし食物のゆえに兄弟を苦しめるなら、あなたは、もはや愛によって歩いているのではない──
(途中省略)
14:17 神の国は飲食ではなく、義と、平和と、聖霊における喜びとである

聖書が何を伝えているのか、幼子のように読み直してみませんか。

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正しいのは、いつだって聖書だからです。

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