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パウロ書簡の読み方

はじめに

現代の私たちが特に注意を払うべき警告が、聖書にあります。

それは、「パウロ書簡を曲解すると滅びを招く」という警告です。

ペテロの手紙 第二
3:16 その手紙でパウロは、ほかのすべての手紙でもしているように、このことについて語っています。その中には理解しにくいところがあります。無知な、心の定まらない人たちは、聖書の他の箇所と同様、それらを曲解して、自分自身に滅びを招きます

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

この警告を、今、私たちは厳重に受け止めねばなりません。

なぜなら、現代、ほとんどの教会が、パウロ書簡を読み誤って、滅びに向かっているからです。

教会が滅びに向かうという預言

教会が滅びに向かうという預言は、聖書に何度も出て来ます。

マタイの福音書
7:13 狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。

テモテへの手紙 第二
4:3 人々が健全な教に耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め、
4:4 そして、真理からは耳をそむけて、作り話の方にそれていく時が来るであろう。

ペテロの手紙 第二
2:1 しかし、民の間に、にせ預言者が起ったことがあるが、それと同じく、あなたがたの間にも、にせ教師が現れるであろう。彼らは、滅びに至らせる異端をひそかに持ち込み、自分たちをあがなって下さった主を否定して、すみやかな滅亡を自分の身に招いている
2:2 また、大ぜいの人が彼らの放縦を見習い、そのために、真理の道がそしりを受けるに至るのである。

この警告を甘く見てはいけません。
なぜなら今、このことが実現しているからです。

滅びを招く曲解

パウロ書簡を読んで、律法は終わったとか、クリスチャンは律法を守らなくてよくなったと考える人たちがいます。

それこそが、「滅びを招く曲解」なのです。

ローマ人への手紙
2:12 そのわけは、律法なしに罪を犯した者は、また律法なしに滅び、律法のもとで罪を犯した者は、律法によってさばかれる。

とは何でしょう。
まずはこの真理を回復してください。

ヨハネの手紙 第一
3:4 罪を犯している者はみな、律法に違反しています。罪とは律法に違反することです

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

罪とは、律法に違反することです。
これを続ける人はどうなると書いてあるでしょうか。

ヘブル人への手紙
10:26 もしわたしたちが、真理の知識を受けたのちにもなお、ことさらに罪(律法違反)を犯しつづけるなら、罪のためのいけにえは、もはやあり得ない。
10:27 ただ、さばきと、逆らう者たちを焼きつくす激しい火とを、恐れつつ待つことだけがある。

二つの律法

多くの人が、「神の戒め」「モーセ律法」を混同しています。
そのせいで、パウロ書簡を正しく読めなくなっているのです。

モーセ律法については、次のように書かれています。

ガラテヤ人への手紙
3:19 それでは、律法(モーセ律法)はなんであるか。それは違反を促すため、あとから加えられたのであって、約束されていた子孫が来るまで存続するだけのものであり、かつ、天使たちをとおし、仲介者の手によって制定されたものにすぎない。

  • あとから加えられたもの

  • キリストが来るまで存続するだけのもの

  • 仲介者の手によって制定されたもの

これがモーセ律法です。

一方、神の戒め、すなわち十戒じっかいについては、次のように書かれています。

マタイの福音書
5:18 よく言っておく。天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである。
5:19 それだから、これらの最も小さいいましめの一つでも破り、またそうするように人に教えたりする者は、天国で最も小さい者と呼ばれるであろう。しかし、これをおこないまたそう教える者は、天国で大いなる者と呼ばれるであろう。

パウロの意見も同じです。

コリント人への手紙 第一
7:19 割礼があってもなくても、それは問題ではない。大事なのは、ただ神の戒めを守ることである。

このように、パウロは「神の戒め」「モーセ律法」を区別していることを覚えてください。
これを理解しないでは、けっしてパウロ書簡を正しく読むことはできません。

正しい信仰とは

思い込みを捨てて、パウロ書簡を読んでみましょう。
パウロは、けっして律法が無効になったとは書いていません。

ローマ人への手紙
3:31 すると、信仰のゆえに、わたしたちは律法を無効にするのであるか。断じてそうではない。かえって、それによって律法を確立するのである。

ローマ人への手紙
6:15 それでは、どうなのか。律法の下にではなく、恵みの下にあるからといって、わたしたちは罪(律法違反)を犯すべきであろうか。断じてそうではない

このとおり、律法を無効とする信仰や恵みは、正しいものではありません。

パウロは、律法が無効になったと教えているのではなく、
律法を確立するための「新しい方法」について語っているのです。

ローマ人への手紙
7:6 しかし今は、わたしたちをつないでいたものに対して死んだので、わたしたちは律法から解放され、その結果、古い文字によってではなく、新しい霊によって仕えているのである。

すなわち、「律法にそう書いてあるから」という仕え方ではなく、
聖霊の導きによって仕えることで、律法の要求を満たすと教えているのです。

そのような人こそ、本当の信仰者であると聖書は教えます。

ヨハネの手紙 第一
3:6 すべて彼におる者は、罪(律法違反)を犯さない。すべて罪を犯す者は彼を見たこともなく、知ったこともない者である。

おわりに

パウロ書簡を曲解すると滅びを招く。
聞く耳のある人たちは、すでにこの警告を受け取っています。

主流派の教えが正しいとは限らないことは、聖書が何度も教えていることです。

どうか今、幼子のようになってください。天国はそのような人たちの国です。

マタイの福音書
11:25 そのときイエスは声をあげて言われた、「天地の主なる父よ。あなたをほめたたえます。これらの事を知恵のある者や賢い者に隠して、幼な子にあらわしてくださいました

少しでも「自分は何か知っている」と思うなら、けっして真理を悟ることはできません。

パウロ書簡やイエス様のたとえは、わざとそのように作られているのです。

ルカの福音書
8:10 そこで言われた、「あなたがたには、神の国の奥義を知ることが許されているが、ほかの人たちには、見ても見えず、聞いても悟られないために、譬で話すのである。

このように、天国の門は、高慢な者から隠され、謙遜な人だけがくぐれるようにできています。

私たちに必要なのは、本物のへりくだりです。
謙遜にならなければ、自らの救いを捨てることになるでしょう。
「主流派に属する自分こそ正しい」
そのような人々が、かつて救い主を殺してしまったことを思い出してください。

今、幼子のようになって、聖書を読み直してみましょう。
正しいのは、いつだって聖書だからです。

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