本当の本当に、新しい契約を受けていますか?
はじめに
聖書は、私たちに新しい契約、すなわち「新約」を提示しています。
この契約を受けたかどうかは、どうやって確認できるのでしょうか。
ご一緒に聖書から学んでみましょう。
新しい契約と聖霊
新しい契約を受けることと、聖霊を受けることは、同一です。
これが新しい契約を受けた人の姿です。
文字に仕える者ではなく、霊に仕える者にされるのです。
皆さんは、文字に仕える者ではなく、霊に仕える者となっているでしょうか。
文字に仕える者とは
文字に仕える者とは、文字どおりに律法を守ってさえいればいいという人のことです。
これを主は、律法学者やパリサイ人の義と呼びます。
私たちに必要なのは、律法学者やパリサイ人にまさる義です。
それがどんなものであるか、ご自身の目で聖句の続きを読んでみてください。
一言で言えば、それは神の持つ完全な愛によって、義を行うことです。
霊に仕える者とは
霊に仕える者とは何でしょう。
「律法の下にいない」とは、どういう意味でしょう。
律法の下にいないとは、文字どおりに律法を守りさえすればいいという状態から脱却し、聖霊によって心から義を行う状態に変えられたということです。
これによって、私たちは律法の要求を満たすことになるのです。
神の律法とは
聖書は、神の律法とモーセ律法を区別しています。
「神の律法」「わたしの律法」「初め(の律法)」という言葉は、神の原則である十戒を表す言葉です。
これに対し、モーセ律法はあとから加えられたと書かれています。
それなのに、多くの教会が、十戒とモーセ律法を区別せず、十戒も廃されたと教えます。
その理由は、十戒の中に「安息日」の戒めが含まれているからです。
ローマカトリックによって持ち込まれた日曜礼拝のせいで、今や教会が十戒を嫌うまでになっているのです。
新約と律法の関係
新しい契約とは、神の律法が納められることを指します。
幕屋や神殿が教えていたのは、じつにこのことです。
私たちの中に十戒が納められ、そこに神の霊が住まわれるのです。
神の律法に服従する人は、皆この契約を受けられます。
あの取税人のように、「律法の要求を満たす者になりたい」と心から願うなら、私たちには新約が与えられるのです。
それなのに、多くの人がこの契約を拒んでいます。
神の律法に服従するどころか、十戒を嫌っているからです。
なぜ十戒を嫌いにさせられたのか、いつ嫌いにさせられたのか、どうか考えてみてください。
主は、あなたが心の扉を開くのを待っておられます。
おわりに
神様が造った律法を、なぜ忌み嫌う必要があるのでしょうか。
十戒を嫌うことは、神の義を嫌うことです。
今や大勢のクリスチャンが、サタンの策略によって、神の義を嫌っています。
そのせいで新約を受けておらず、聖霊も内住していません。
もう、頑にならないでください。
心に律法が書き付けられるなら、私たちは罪から離れ、義に生きられるのです。
この救いを信じますか?
謙遜になって、悔い改めるときは、今です。
自分が正しいのだという態度を捨て、聖書から学び直してみませんか?
正しいのは、いつだって聖書だからです。
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