
本当の本当に、新しい契約を受けていますか?
はじめに
聖書は、私たちに新しい契約、すなわち「新約」を提示しています。
この契約を受けたかどうかは、どうやって確認できるのでしょうか。
ご一緒に聖書から学んでみましょう。
新しい契約と聖霊
新しい契約を受けることと、聖霊を受けることは、同一です。
コリント人への手紙 第二
3:6 神はわたしたちに力を与えて、新しい契約に仕える者とされたのである。それは、文字に仕える者ではなく、霊に仕える者である。文字は人を殺し、霊は人を生かす。
これが新しい契約を受けた人の姿です。
文字に仕える者ではなく、霊に仕える者にされるのです。
皆さんは、文字に仕える者ではなく、霊に仕える者となっているでしょうか。
文字に仕える者とは
文字に仕える者とは、文字どおりに律法を守ってさえいればいいという人のことです。
これを主は、律法学者やパリサイ人の義と呼びます。
マタイの福音書
5:20 わたしは言っておく。あなたがたの義が律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、決して天国に、はいることはできない。
私たちに必要なのは、律法学者やパリサイ人にまさる義です。
それがどんなものであるか、ご自身の目で聖句の続きを読んでみてください。
一言で言えば、それは神の持つ完全な愛によって、義を行うことです。
ローマ人への手紙
13:8 互に愛し合うことの外は、何人にも借りがあってはならない。人を愛する者は、律法を全うするのである。
霊に仕える者とは
霊に仕える者とは何でしょう。
ガラテヤ人への手紙
5:18 もしあなたがたが御霊に導かれるなら、律法の下にはいない。
「律法の下にいない」とは、どういう意味でしょう。
律法の下にいないとは、文字どおりに律法を守りさえすればいいという状態から脱却し、聖霊によって心から義を行う状態に変えられたということです。
これによって、私たちは律法の要求を満たすことになるのです。
ローマ人への手紙
8:4 これは律法の要求が、肉によらず霊によって歩くわたしたちにおいて、満たされるためである。
(途中省略)
8:7 なぜなら、肉の思いは神に敵するからである。すなわち、それは神の律法に従わず、否、従い得ないのである。
神の律法とは
聖書は、神の律法とモーセ律法を区別しています。
「神の律法」「わたしの律法」「初め(の律法)」という言葉は、神の原則である十戒を表す言葉です。
マタイの福音書
19:8 イエスが言われた、「モーセはあなたがたの心が、かたくななので、妻を出すことを許したのだが、初めからそうではなかった。
これに対し、モーセ律法はあとから加えられたと書かれています。
ガラテヤ人への手紙
3:19 それでは、律法はなんであるか。それは違反を促すため、あとから加えられたのであって、約束されていた子孫が来るまで存続するだけのものであり、かつ、天使たちをとおし、仲介者の手によって制定されたものにすぎない。
それなのに、多くの教会が、十戒とモーセ律法を区別せず、十戒も廃されたと教えます。
その理由は、十戒の中に「安息日」の戒めが含まれているからです。
ローマカトリックによって持ち込まれた日曜礼拝のせいで、今や教会が十戒を嫌うまでになっているのです。
新約と律法の関係
新しい契約とは、神の律法が納められることを指します。
エレミヤ書
31:31 主は言われる、見よ、わたしがイスラエルの家とユダの家とに新しい契約を立てる日が来る。
(途中省略)
31:33 ──すなわちわたしは、わたしの律法を彼らのうちに置き、その心にしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となると主は言われる。
幕屋や神殿が教えていたのは、じつにこのことです。
私たちの中に十戒が納められ、そこに神の霊が住まわれるのです。
神の律法に服従する人は、皆この契約を受けられます。
ローマ人への手紙
6:17 しかし、神は感謝すべきかな。あなたがたは罪の僕であったが、伝えられた教の基準に心から服従して、
6:18 罪から解放され、義の僕となった。
あの取税人のように、「律法の要求を満たす者になりたい」と心から願うなら、私たちには新約が与えられるのです。
それなのに、多くの人がこの契約を拒んでいます。
神の律法に服従するどころか、十戒を嫌っているからです。
なぜ十戒を嫌いにさせられたのか、いつ嫌いにさせられたのか、どうか考えてみてください。
主は、あなたが心の扉を開くのを待っておられます。
おわりに
神様が造った律法を、なぜ忌み嫌う必要があるのでしょうか。
十戒を嫌うことは、神の義を嫌うことです。
今や大勢のクリスチャンが、サタンの策略によって、神の義を嫌っています。
そのせいで新約を受けておらず、聖霊も内住していません。
もう、頑にならないでください。
心に律法が書き付けられるなら、私たちは罪から離れ、義に生きられるのです。
この救いを信じますか?
謙遜になって、悔い改めるときは、今です。
自分が正しいのだという態度を捨て、聖書から学び直してみませんか?
正しいのは、いつだって聖書だからです。
(気に入った記事はSNSでシェアしていただければ幸いです)
こちらの記事も参考にどうぞ。