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なぜ律法があるのか
はじめに
あなたは律法が好きですか。
クリスチャンであっても、意見が分かれるのではないでしょうか。
律法とは何でしょう。
神様は、どうして律法をお与えになったのでしょうか。
これを正しく知らなければ、真のクリスチャンとはいえません。
今、ご一緒に聖書から確認してみましょう。
律法がなければ罪がない?
多くのクリスチャンが、勘違いしていることがあります。
それは、「律法がなければ罪はない」とか、「律法が罪を制定した」という認識です。
そうではありません。
ローマ人への手紙
5:13 というのは、律法以前にも罪は世にあったが、律法がなければ、罪は罪として認められないのである。
先にあったのは、罪です。
律法とは、その罪を私たちに認識させてくれるものなのです。
ローマ人への手紙
7:7 それでは、わたしたちは、なんと言おうか。律法は罪なのか。断じてそうではない。しかし、律法によらなければ、わたしは罪を知らなかったであろう。すなわち、もし律法が「むさぼるな」と言わなかったら、わたしはむさぼりなるものを知らなかったであろう。
罪を知らせてくれるもの、それが律法です。
だからこそ、律法に違反することが罪だと教えられているのです。
これはすべての弟子の共通認識です。
ヨハネの手紙 第一
3:4 罪を犯している者はみな、律法に違反しています。罪とは律法に違反することです。
どの律法か
律法にはいくつかの種類があります。
永遠の命に入りたければ、どの律法を守る必要があるのでしょうか。
マタイの福音書
19:17 イエスは言われた、「なぜよい事についてわたしに尋ねるのか。よいかたはただひとりだけである。もし命に入りたいと思うなら、いましめを守りなさい」。
19:18 彼は言った、「どのいましめですか」。イエスは言われた、「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証を立てるな。
19:19 父と母とを敬え』。また『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』」。
それは十戒です。
十戒こそが、罪とは何かを私たちに教えてくれる律法なのです。
神のほかに神があってはならない。
偶像を造ってはならない。
神の名をみだりに唱えてはならない。
安息日を聖とせよ。
父と母を敬え。
殺人をしてはならない。
姦淫をしてはならない。
盗んではならない。
偽証してはならない。
隣人のものをむさぼってはならない。
これを要約したものが、「自分を愛するように、あなたの隣人を愛せよ」という戒めです。
ローマ人への手紙
13:9 「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」など、そのほかに、どんな戒めがあっても、結局「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」というこの言葉に帰する。
十戒がなかったら
十戒がなかったらどうなるでしょう。誰も裁かれないのでしょうか。
いいえ。
ローマ人への手紙
2:12 そのわけは、律法なしに罪を犯した者は、また律法なしに滅び、律法のもとで罪を犯した者は、律法によってさばかれる。
律法があろうとなかろうと、罪を犯した者は滅びる。これが聖書の教えです。
だからこそ、律法に感謝しなければならないのです。
律法は、私たちを滅びから免れさせるための教科書だからです。
十戒の永続性
十戒は廃れません。この律法の永続性については、イエス様が明確に教えておられます。
マタイの福音書
5:18 よく言っておく。天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである。
5:19 それだから、これらの最も小さいいましめの一つでも破り、またそうするように人に教えたりする者は、天国で最も小さい者と呼ばれるであろう。しかし、これをおこないまたそう教える者は、天国で大いなる者と呼ばれるであろう。
それだけではありません。
十戒は、心においても守るように教えられています。
マタイの福音書
5:20 わたしは言っておく。あなたがたの義が律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、決して天国に、はいることはできない。
5:21 昔の人々に『殺すな。殺す者は裁判を受けねばならない』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。
5:22 しかし、わたしはあなたがたに言う。兄弟に対して怒る者は、だれでも裁判を受けねばならない。兄弟にむかって愚か者と言う者は、議会に引きわたされるであろう。また、ばか者と言う者は、地獄の火に投げ込まれるであろう。
律法学者やパリサイ人にまさる義
私たちの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、けっして天国に入ることはできません。
すなわち、心の中においても十戒を守る人でなければ、けっして天国に入れないのです。
これは私たちにとって、高すぎる水準です。とても守ることはできません。
そんな私たちを、神は見捨てられたでしょうか。
いいえ。
神は、新しい契約によって、私たちが十戒を守れるようにしてくださったのです。
ヘブル人への手紙
8:10 わたしが、それらの日の後、イスラエルの家と立てようとする契約はこれである、と主が言われる。すなわち、わたしの律法(十戒)を彼らの思いの中に入れ、彼らの心に書きつけよう。こうして、わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となるであろう。
覚えてください。
私たちは、十戒を通して、神の民となるのです。
これをけっして忘れてはいけません。
おわりに
なぜ律法があるのか、おわかりいただけたでしょうか。
私たちを苦しめるためでもなければ、滅ぼすためでもありません。
律法は、私たちが滅びないため、また、神との関係を回復するために与えられたのです。
律法を無視して、永遠の命に入ることはできません。
ルカの福音書
10:25 するとそこへ、ある律法学者が現れ、イエスを試みようとして言った、「先生、何をしたら永遠の生命が受けられましょうか」。
10:26 彼に言われた、「律法にはなんと書いてあるか。あなたはどう読むか」。
10:27 彼は答えて言った、「『心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。また、『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』とあります」。
10:28 彼に言われた、「あなたの答は正しい。そのとおり行いなさい。そうすれば、いのちが得られる」。
今、正しい牧者の声を聞きましょう。間違った声から逃れましょう。
正しいのは、いつだって聖書だからです。
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