はじめに
あなたは律法が好きですか。
クリスチャンであっても、意見が分かれるのではないでしょうか。
律法とは何でしょう。
神様は、どうして律法をお与えになったのでしょうか。
これを正しく知らなければ、真のクリスチャンとはいえません。
今、ご一緒に聖書から確認してみましょう。
律法がなければ罪がない?
多くのクリスチャンが、勘違いしていることがあります。
それは、「律法がなければ罪はない」とか、「律法が罪を制定した」という認識です。
そうではありません。
先にあったのは、罪です。
律法とは、その罪を私たちに認識させてくれるものなのです。
罪を知らせてくれるもの、それが律法です。
だからこそ、律法に違反することが罪だと教えられているのです。
これはすべての弟子の共通認識です。
どの律法か
律法にはいくつかの種類があります。
永遠の命に入りたければ、どの律法を守る必要があるのでしょうか。
それは十戒です。
十戒こそが、罪とは何かを私たちに教えてくれる律法なのです。
神のほかに神があってはならない。
偶像を造ってはならない。
神の名をみだりに唱えてはならない。
安息日を聖とせよ。
父と母を敬え。
殺人をしてはならない。
姦淫をしてはならない。
盗んではならない。
偽証してはならない。
隣人のものをむさぼってはならない。
これを要約したものが、「自分を愛するように、あなたの隣人を愛せよ」という戒めです。
十戒がなかったら
十戒がなかったらどうなるでしょう。誰も裁かれないのでしょうか。
いいえ。
律法があろうとなかろうと、罪を犯した者は滅びる。これが聖書の教えです。
だからこそ、律法に感謝しなければならないのです。
律法は、私たちを滅びから免れさせるための教科書だからです。
十戒の永続性
十戒は廃れません。この律法の永続性については、イエス様が明確に教えておられます。
それだけではありません。
十戒は、心においても守るように教えられています。
律法学者やパリサイ人にまさる義
私たちの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、けっして天国に入ることはできません。
すなわち、心の中においても十戒を守る人でなければ、けっして天国に入れないのです。
これは私たちにとって、高すぎる水準です。とても守ることはできません。
そんな私たちを、神は見捨てられたでしょうか。
いいえ。
神は、新しい契約によって、私たちが十戒を守れるようにしてくださったのです。
覚えてください。
私たちは、十戒を通して、神の民となるのです。
これをけっして忘れてはいけません。
おわりに
なぜ律法があるのか、おわかりいただけたでしょうか。
私たちを苦しめるためでもなければ、滅ぼすためでもありません。
律法は、私たちが滅びないため、また、神との関係を回復するために与えられたのです。
律法を無視して、永遠の命に入ることはできません。
今、正しい牧者の声を聞きましょう。間違った声から逃れましょう。
正しいのは、いつだって聖書だからです。
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