福音の三要素の正体
はじめに
福音の三要素を信じていれば、その人は救われている。そう教える人がいます。
「キリストが私たちの罪のために死んだこと」
「葬られたこと」
「三日目によみがえったこと」
この三つを信じていれば、その人は救われていると言うのです。
これはどれほど人に安心感を与える教えでしょうか。
かつての私も、この教えを信じていました。
しかし、一つだけ問題があります。
それは、この教えが間違っているということです。
福音の三要素が生み出された箇所
福音の三要素は、次の箇所から生み出されました。
ここに、九つのことが書かれています。
キリストが私たちの罪のために死んだこと。
葬られたこと。
三日目によみがえったこと。
ケパ(ペテロ)に現れたこと。
十二人に現れたこと。
五百人以上の兄弟たちに同時に現れたこと。
ヤコブに現れたこと。
すべての使徒たちに現れたこと。
最後にパウロに現れたこと。
このうちの三つだけを選び出して、福音の三要素と呼んでいるのです。
なぜ三つだけなのかは、わかりませんが、今や、多くの日本人クリスチャンが、この教えの虜となっています。
福音の三要素の正体
よく見てください。パウロは、決してこれが福音のすべてと言っているのではありません。「わたしが最も大事なこととしてあなたがたに伝えたのは」と言っているのです。
福音の三要素と言われるものの正体は、「パウロの伝えた最も大事なこと」の一部に過ぎません。
その三つがなされる前から、福音は宣べ伝えられていました。
聖書に書かれた救いの方法
聖書には、救いに関するたくさんの教えがあります。
聖書から好きな教えを一つ選べば、それで救われるのでしょうか。
いいえ、全部を受け入れる必要があります。
恐ろしいのは、福音の三要素を救いの条件とする人々は、それ以外の教えを否定するようになってしまうことです。
これは大変危険なことです。
人が抽出した「三つ」だけを救いの条件とし、残りの主の教えを否定する。
これがいかにおかしなことか、今日、気づかなくてはなりません。
主が否定され、真理の道がそしられる
こうなることは、すでに預言されていました。
聖書には、救いに関する教えがたくさん書かれています。
そのうち、三つだけを取り出すのはなぜでしょうか。
それは、「恵みによるのだから、行いなしに救われる」という教えを確立し、人々を惹き付けるためにほかなりません。
実際、人々はそのような教えに魅了され、もはや健全な教えに耐えられなくなっています。
「恵み」の本当の意味
確かに、救いは、価なしに、神の恵みにより与えられます。
しかし覚えてください。
その恵みとは、罪からの救いなのです。
罪を犯す人は、この恵みを受け取っていません。
私たちが罪を犯さないようになり、義に生きるようになること、それが恵みだと聖書は教えているのです。
この恵みに与るには、神の教えに心から服従する必要があります。
世的な生き方から、御心に添った生き方へと、方向転換するのです。
それが真の悔い改めです。
そしてこれこそが、十字架によって与えられる恵みだと聖書は教えているのです。
これを代価や軛だと思う人は、天国には一人もいないことでしょう。
おわりに
聖書の一部だけを切り取って、勝手に救いの条件として定めたもの、それが福音の三要素の正体です。
これにどっぷりと浸った人は、必ず真理を攻撃するようになります。
理性がまだ残っているなら、どうか十字架を見上げてください。
そして、キリストが私たちに何をしてくださったかを、思い出してください。
主の愛と、その打ち傷によって、私たちは癒やされたのです。
私たちが信じるなら、罪を離れ、義に生きることが、可能になっているのです。
偽りの神学を捨て、聖書に立ち返ってください。
正しいのは、いつだって聖書だからです。
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