見出し画像

福音の三要素の正体

はじめに

福音の三要素を信じていれば、その人は救われている。そう教える人がいます。

「キリストが私たちの罪のために死んだこと」
「葬られたこと」
「三日目によみがえったこと」
この三つを信じていれば、その人は救われていると言うのです。

これはどれほど人に安心感を与える教えでしょうか。

かつての私も、この教えを信じていました。

しかし、一つだけ問題があります

それは、この教えが間違っているということです。

福音の三要素が生み出された箇所

福音の三要素は、次の箇所から生み出されました。

コリント人への手紙 第一
15:1 兄弟たちよ。わたしが以前あなたがたに伝えた福音、あなたがたが受けいれ、それによって立ってきたあの福音を、思い起してもらいたい。
15:2 もしあなたがたが、いたずらに信じないで、わたしの宣べ伝えたとおりの言葉を固く守っておれば、この福音によって救われるのである。
15:3 わたしが最も大事なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことであった。すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、
15:4 そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえったこと、
15:5 ケパに現れ、次に、十二人に現れたことである。
15:6 そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れた。その中にはすでに眠った者たちもいるが、大多数はいまなお生存している。
15:7 そののち、ヤコブに現れ、次に、すべての使徒たちに現れ、
15:8 そして最後に、いわば、月足らずに生れたようなわたしにも、現れたのである。
15:9 実際わたしは、神の教会を迫害したのであるから、使徒たちの中でいちばん小さい者であって、使徒と呼ばれる値うちのない者である。
15:10 しかし、神の恵みによって、わたしは今日あるを得ているのである。そして、わたしに賜わった神の恵みはむだにならず、むしろ、わたしは彼らの中のだれよりも多く働いてきた。しかしそれは、わたし自身ではなく、わたしと共にあった神の恵みである。
15:11 とにかく、わたしにせよ彼らにせよ、そのように、わたしたちは宣べ伝えており、そのように、あなたがたは信じたのである。

ここに、九つのことが書かれています。

  1. キリストが私たちの罪のために死んだこと。

  2. 葬られたこと。

  3. 三日目によみがえったこと。

  4. ケパ(ペテロ)に現れたこと。

  5. 十二人に現れたこと。

  6. 五百人以上の兄弟たちに同時に現れたこと。

  7. ヤコブに現れたこと。

  8. すべての使徒たちに現れたこと。

  9. 最後にパウロに現れたこと。

このうちの三つだけを選び出して、福音の三要素と呼んでいるのです。

なぜ三つだけなのかは、わかりませんが、今や、多くの日本人クリスチャンが、この教えのとりことなっています。

福音の三要素の正体

よく見てください。パウロは、決してこれが福音のすべてと言っているのではありません。「わたしが最も大事なこととしてあなたがたに伝えたのは」と言っているのです。

福音の三要素と言われるものの正体は、「パウロの伝えた最も大事なこと」の一部に過ぎません。

その三つがなされる前から、福音はべ伝えられていました。

マルコの福音書
1:15 「時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」。

聖書に書かれた救いの方法

聖書には、救いに関するたくさんの教えがあります。

ヨハネの福音書
5:29 善をおこなった人々は、生命を受けるためによみがえり、悪をおこなった人々は、さばきを受けるためによみがえって、それぞれ出てくる時が来るであろう。

ヨハネの手紙 第一
3:10 神の子と悪魔の子との区別は、これによって明らかである。すなわち、すべて義を行わない者は、神から出た者ではない。兄弟を愛さない者も、同様である。

マタイの福音書
7:21 わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。

聖書から好きな教えを一つ選べば、それで救われるのでしょうか。
いいえ、全部を受け入れる必要があります

恐ろしいのは、福音の三要素を救いの条件とする人々は、それ以外の教えを否定するようになってしまうことです。

これは大変危険なことです。

人が抽出した「三つ」だけを救いの条件とし、残りのしゅの教えを否定する。
これがいかにおかしなことか、今日、気づかなくてはなりません。

しゅが否定され、真理の道がそしられる

こうなることは、すでに預言されていました。

ペテロの手紙 第二
2:1 しかし、民の間に、にせ預言者が起ったことがあるが、それと同じく、あなたがたの間にも、にせ教師が現れるであろう。彼らは、滅びに至らせる異端をひそかに持ち込み、自分たちをあがなって下さった主を否定して、すみやかな滅亡を自分の身に招いている。
2:2 また、大ぜいの人が彼らの放縦を見習い、そのために、真理の道がそしりを受けるに至るのである

聖書には、救いに関する教えがたくさん書かれています。
そのうち、三つだけを取り出すのはなぜでしょうか。

それは、「恵みによるのだから、行いなしに救われる」という教えを確立し、人々をき付けるためにほかなりません。

実際、人々はそのような教えに魅了され、もはや健全な教えに耐えられなくなっています。

テモテへの手紙 第二
4:3 人々が健全な教に耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め、
4:4 そして、真理からは耳をそむけて、作り話の方にそれていく時が来るであろう

「恵み」の本当の意味

確かに、救いは、価なしに、神の恵みにより与えられます。

しかし覚えてください。
その恵みとは、罪からの救いなのです。
罪を犯す人は、この恵みを受け取っていません。

ローマ人への手紙
6:14 なぜなら、あなたがたは律法の下にあるのではなく、恵みの下にあるので、罪に支配されることはないからである。

私たちが罪を犯さないようになり、義に生きるようになること、それが恵みだと聖書は教えているのです。

ローマ人への手紙
6:17 神に感謝します。あなたがたは、かつては罪の奴隷でしたが、伝えられた教えの規範に心から服従し
6:18 罪から解放されて、義の奴隷となりました

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

この恵みにあずかるには、神の教えに心から服従する必要があります。
世的な生き方から、御心みこころに添った生き方へと、方向転換するのです。

それが真の悔い改めです。
そしてこれこそが、十字架によって与えられる恵みだと聖書は教えているのです。

ペテロの手紙 第一
2:24 キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。それは、私たちが罪を離れ、義に生きるため。その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒やされた。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

これを代価やくびきだと思う人は、天国には一人もいないことでしょう。

おわりに

聖書の一部だけを切り取って、勝手に救いの条件として定めたもの、それが福音の三要素の正体です。

これにどっぷりと浸った人は、必ず真理を攻撃するようになります。

理性がまだ残っているなら、どうか十字架を見上げてください。
そして、キリストが私たちに何をしてくださったかを、思い出してください。

しゅの愛と、その打ち傷によって、私たちは癒やされたのです。
私たちが信じるなら、罪を離れ、義に生きることが、可能になっているのです。

偽りの神学を捨て、聖書に立ち返ってください。
正しいのは、いつだって聖書だからです。

(気に入った記事はSNSでシェアしていただければ幸いです。一人でも多くの兄弟をサタンの手から取り返しましょう)

こちらの記事も参考にどうぞ。