救いの確信について
はじめに
こんな言葉を聞いたことはないでしょうか。
「あの人は、あなたの救いの確信を揺るがす者だ。あの人の話を聞いてはいけない」
以前の私は、そんな言葉を鵜呑みにするような人間でした。
それどころか、救いの確信を揺るがす人は、悪魔の側にいるのだと思うほどでした。
しかしどうでしょう。
「あの者の話を聞くな」これはカルトの常套手段です。
異端と呼ばれる人たちを見て、助けてあげたいと思ったことはないでしょうか。
けれども彼らは、独自の確信を握りしめており、けっして手放そうとしません。
なぜなら、救いの確信を奪われることは、彼らにとって痛みを伴うことだからです。
それで、耳を塞いだり、噛みついたりしてしまうのです。
私たちはどうでしょう。
イエス様は、私たちの目にも大きな梁が入っていると教えます。
この梁に気づくには、相手の話を聞いてみる以外にありません。
あなたの心には、まだ謙遜さが残っているでしょうか。
救いの確信を揺るがす者
「救いの確信を揺るがす者」に、きっと私は該当するでしょう。
けれど、福音の働きはそこから始まったことを忘れてはいけません。
かつて神の民と呼ばれる人々は、アブラハムの子孫であれば救われるという確信を持っていました。
その確信は、彼らを救ったでしょうか。
いいえ。
救うどころか、その間違った確信は、救い主を殺すに至ったのです。
現代の私たちも、これに気をつけなければなりません。
間違った確信は、真理を攻撃することにつながります。
もしも間違った確信を握りしめて、御言葉を受け取ろうとしないなら、主を否定することになるのです。
聖書のクリスチャン
現代、多くのクリスチャンが「自分の救いは確定している」という思想を持っています。
ところが、聖書に出てくるクリスチャンは、そんな思想は持っていません。
キリストを知った人でも、従順を忘れるなら、キリストを知る前よりも、もっと悪くなってしまうのです。
義の道を知っていながら、神の戒めに対する従順を忘れるなら、私たちは再び罪の奴隷となるばかりか、その支配にどっぷりと浸かってしまうのです。
本当の確信
「自分の救いは確定している」という確信は、間違った確信です。
聖書の教える本当の確信は「神の教えに従って歩んだ先に、必ず救いがある」というものです。
大切なのは、私たちが最後まで従順に生きることです。
「自分の救いは確定している」という確信を持ち続けるのと、「神の教えに従って歩んだ先に、必ず救いがある」という確信を持ち続けるのとでは、その歩みに天と地ほどの差が生じます。
正しいのは、後者です。
だからこそ、聖書は最後まで従順に歩むようにと教えているのです。
救いの達成
現代、恐れおののいて自分の救いの達成に努めている人の、なんと少ないことでしょう。
間違った確信のせいで、多くの人が、その心から御言葉を奪い取られているのです。
私たちが救いを達成するには、御言葉を聞いたのち、これを正しい良い心でしっかりと守り、耐え忍んで実を結ぶ必要があるのです。
実を結ばないなら、その枝は取り除かれてしまいます。
おわりに
「救いが確定している」などとは、聖書は教えていません。
たとえ永遠の命を生きる私たちでも、忍耐をやめ、従順をなくし、実を結ばなくなるなら、その権利を失ってしまうのです。
あなたは罪から解放されているでしょうか。
神に仕えているでしょうか。
その歩みを、最後まで続ける人だけが、実を結び、永遠の命を確定させるのです。
間違った確信を捨てて、従順を取り戻しましょう。
握りしめていた確信を奪われることには、痛みを伴うかもしれません。
それでも、救いの達成につながる本当の歩みを取り戻そうではありませんか。
偽りの神学を捨て、聖書に立ち返りましょう。
正しいのは、いつだって聖書だからです。
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