はじめに
ダニエル書にある「二千三百の夕と朝」の預言は、これまでさまざまな解釈をされてきました。
本当のところ、この預言は何を伝えているのでしょうか。
先に申し上げますが、この記事を鵜呑みにする必要はありません。
これはあくまでも、私が聖霊に求め、聖書から受け取った結果です。
それを踏まえて、ご一緒に確認してみましょう。
二千三百の夕と朝の預言
まずはその預言を見てみましょう。
これがその預言です。
この預言には表と裏があります。
表の預言では、雄羊はメディア・ペルシャ、雄山羊はギリシャを表しています。
この表の預言は、アンティオコス・エピファネスがエルサレム神殿にゼウス像を建てた際、2300日後に神殿が奪還されたことで成就したといわれています。
とはいえ、どうして先の幻のように、メディア・ペルシャを熊、ギリシャを豹として表さなかったのでしょうか。
それは、ここに裏の預言が隠されているからです。
羊と山羊、これらが真の教会とサタンの会衆を表すことはわかると思います。
実際、羊で表される初代教会は、エルサレムから始まって、西、北、南へと宣教の範囲を広げていきました。二つの角は、ユダヤ人信者と異邦人信者だと考えていいでしょう。
そこに現れたのが、雄山羊で表されるローマカトリックです。そこから生える小さい角(バチカン)は、ヨーロッパから始まって、南半球に、アジアに、そしてパレスチナに、多くの教会を建てました。
また聖書のみに従う人々を大量虐殺し、真理を地に投げ打ちました。
これらの暴虐から、神の宮、すなわち教会が清められ、正しい常態に復するのに必要な期間として、「二千三百の夕と朝」が預言されているのです。
その期間は、以下の三つに区分されます。
この三つの期間には、それぞれ数字がキーワードとして割り当てられています。
一体、どんな数字が割り当てられているのでしょうか。
聖書から確認してみましょう。
大患難
この期間は、常に「1260」という数字によって表されます。
ほかに、「三年半」「四十二か月」「一時と二時と半時」という言葉も、同じ期間を表します。
これが実際の1260日なのか、1260年なのか、それともただのキーワードなのかはさておき、聖徒が悩まされる期間を指していることは確かです。
御怒り
大患難が終わると、主の日が来て、御怒りが臨みます。
御怒りや滅びは、いつも「40」という数字で表されてきました。
この期間は、大患難を通過した聖徒たちがキリストとともに過ごす期間であることも予表されています。
千年王国
御怒りが終わると、サタンのいない千年の期間が始まります。
これが実際の千年なのかどうかはわかりませんが、この期間に、復活した人々が、キリストとともに支配します。
この期間のあいだに、世界はすばらしい回復を見せることでしょう。
キーワードの合計
さて、それぞれの期間に割り当てられたキーワードを確認してみましょう。
大患難 → 1260
御怒り → 40
千年王国 → 1000
これらをすべて合計すると、「2300」となります。
ここでダニエル書の預言を思い出してください。
聖所とその民が渡されて踏みつけられるのはいつまでですか。それは二千三百の夕と朝の間である。そして聖所は清められてその正しい状態に復する。
これが答えだと私は理解しました。
「二千三百の夕と朝」は、千年王国の終わりまでを示した、神の完全回復を約束する預言だったのです。
夕と朝
さて、「二千三百の夕と朝」の預言が、千年王国の終わりまでを示す完全な清めについての預言であることを証明するには、二つ以上の証言が必要になります。
そこで、「夕と朝」という言葉にも注目してみましょう。
なぜこの預言だけが、「二千三百日」ではなく、「二千三百の夕と朝」と書かれているのでしょうか。
そこには、ちゃんと意味があります。
聖書の中で、「夕と朝」が強調される箇所はどこでしょうか。
それは、創造のときです。
ここに、「夕と朝」の伝えたいことがあるのです。
かつて「六つの夕と朝」で世界が創造されたように、「二千三百の夕と朝」で、神様は世界を再創造されるのです。
創造されたときの世界を、神様は「はなはだ良かった」とされました。
この状態が回復されるのはいつでしょうか。
千年王国が終わって、サタンが完全に除去されたときです。
すなわち、「二千三百の夕と朝」という言葉には、大患難、御怒り、千年王国を通して、「はなはだ良かった」状態が回復されるという、希望の約束が込められていたのです。
おわりに
二千三百の夕と朝の預言は、私たちの完全回復を約束する預言である。
これが私の受け取った解釈です。
あなたはどうでしょうか。
一人一人が聖書をよく読み、真理を回復する必要があります。
正しいのは、いつだって聖書だからです。
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