「古い契約」の本当の意味
はじめに
聖書は、「古い契約」と「新しい契約」について教えてくれます。
一体なぜ、古い契約が与えられたのでしょうか。
初めから、新しい契約ではだめだったのでしょうか。
今、古い契約とは何か、ご一緒に聖書から確認してみましょう。
古い契約
古い契約とは、モーセの書に書かれた契約のことです。
古い契約とは、神の契約を守るなら、聖なる国民となるというものでした。
その守るべき契約は、十戒だと聖書に書かれています。
「契約の中で契約を守る」というとややこしいですが、
十戒は古い契約の契約書だと思えば理解しやすいかも知れません。
さて、この古い契約には欠けがあると聖書は教えます。
古い契約の欠点、それは「人が十戒に留まることをしない」という点でした。
このように、何らかの助けがなくては、人は十戒に留まることができないのです。
新しい契約
古い契約の欠けを補うために、神様は新しい契約を用意しておられました。
これが新約です。
この契約は、石の板にではなく、心の板に十戒を書きつけるというものです。
そしてこの契約は、イエス・キリストを信じる信仰によって与えられます。
するともう、律法を守らなくてよくなったのでしょうか。
そんな誤解をしないように、パウロはすぐ次のように書いています。
この聖句を取り去ってしまう説教者が非常に多いので、注意してください。
新約は、信仰によって律法を確立するものであることを、絶対に忘れてはいけません。
旧約時代の救い
ここで私たちは、ある思い込みを捨てなければなりません。
その思い込みとは「旧約時代の人々は、律法を行うことによって義を得ていた」という思い込みです。
そのような思い込みを、聖書は完全に否定しています。
このことは、アブラハムやモーセらが、古い契約によって救いを得たのではないという事実を示しています。
すると彼らは、どうやって義とされたのでしょうか。
今も昔も、救いの方法は同じです。
「イエス・キリストを信じる信仰」それ以外の救いは、人間に与えられていないのです。
すると「イエス・キリストはまだ存在していなかった」という人がいるでしょう。
それは多神教の教えが教会に忍び込んでいるからです。
神は唯一です(第一テモテ2:5)。
その唯一の神が、地上に来られたのです(ピリピ2:6)。
それがイエス・キリストであることを覚えてください。
アブラハムはじつにこの方を信じたので、義とされたのです。
古い契約の必要性
今も昔も、古い契約によって救われた人は一人もいません。
ではなぜ、神様は、誰も義とされることのない欠けのある契約を、わざわざ人に与えたのでしょうか。
それは、古い契約が、新しい契約に入るために、どうしても必要だからです。
古い契約が与えられた理由は、私たちをキリストに連れて行くためだったのです。
よく見てください。
信仰によって義とされるために、律法が必要だと聖書は教えているのです。
その理由の一つは、
律法がなければ、罪とは何かを知ることができないからです。
そしてもう一つ、
律法を守らなければ、自分にキリストが必要であることを悟れないからです。
だからこそ、古い契約が与えられたのです。
罪人という認識がなければ、誰も赦しを受けることはできません。
律法を守る力が微塵もないことを悟らなければ、心の底から助けを求めることはできません。
この二つを本当に悟ったとき、人は神とのつながりを求め、神はその求めに応じてくださるのです。
あの取税人は、まさにこの手順を踏んで義とされました。
律法を無視する人に、このような態度は決して現れません。
だからこそ、「信仰によって義とされるために、私たちをキリストに連れて行く養育係」と書いてあるのです。
養育係を取り戻しましょう
先ほど確認したように、律法は、私たちをキリストに連れて行く養育係です。
それなのに、この養育係に出会っていない人の、なんと多いことでしょう。
今一度、思い込みを捨てて、聖書を読んでみてください。
救いの方法は、今も昔も同じなのです。
どのような人も、古い契約から始まって、新しい契約に至るのです。
古い契約を結ぶのは、当時の人たちだけではありません。
神の民となる人は誰でも、この契約を結ぶ必要があります。
「古い」「新しい」とは、時代のことを指しているのではありません。
人が最初に神と結ぶ契約を「古い」、
次に結ぶ契約を「新しい」と言っているのです。
まず、神の律法である十戒に服従する。
次に、十戒を守るためにはキリストが必要であることを知り、信仰によって心の板に十戒を書きつけてもらう。
この二つの手順を踏まなければ、決して神の民となれないことを覚えてください。
おわりに
現代、「キリストに連れて行く養育係」を持たない教会がたくさんあります。
彼らは「信じるだけ」という極端な教理を掲げ、盲目的に歩んでいます。
今、幼子のようになって、聖書の言葉に目を開いてみましょう。
どんな人が、キリストを知っていると書かれているでしょうか。
ここに弁解の余地は一切ないはずです。
今、聖書を信じる者となって、本当の恵みを受け取りましょう。
こんなにもすばらしい恵みが、ほかにあるでしょうか。
十戒を心の板に書きつけてもらうなら、どれほど理想的な人になれるでしょう。
この恵みを受け取って、天の住人にふさわしい生き方を始めましょう。
そのような人を、主は迎えに来てくださるのです。
このブログを信じる必要はありません。
ただ、聖書を信じてください。
正しいのは、いつだって聖書だからです。
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