![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/144767128/rectangle_large_type_2_fe542d8d7f8558ffcff3663f3574b9d1.png?width=1200)
「御子を信じる者」とは
はじめに
聖書は、御子を信じる者が一人も滅びないことを約束してくれます。
ヨハネの福音書
3:16 神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。
このすばらしい約束に、私たちは必ず与らなくてはなりません。
そのためにも、今日、自分が「御子を信じる者」になっているか、しっかりと確認しておきましょう。
そもそも、御子は何を教えていたのか
御子イエスは、一体、何を教えていたのでしょうか。
一言で言えば、それは、十戒の精神です。
マタイの福音書
19:16 すると、ひとりの人がイエスに近寄ってきて言った、「先生、永遠の生命を得るためには、どんなよいことをしたらいいでしょうか」。
19:17 イエスは言われた、「なぜよい事についてわたしに尋ねるのか。よいかたはただひとりだけである。もし命に入りたいと思うなら、いましめを守りなさい」。
19:18 彼は言った、「どのいましめですか」。イエスは言われた、「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証を立てるな。
19:19 父と母とを敬え』。また『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』」。
19:20 この青年はイエスに言った、「それはみな守ってきました。ほかに何が足りないのでしょう」。
当時の人たちは、そのようなことをみな守っていました。
一体、何が足りなかったのでしょうか。
マタイの福音書
19:21 イエスは彼に言われた、「もしあなたが完全になりたいと思うなら、帰ってあなたの持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」。
足りなかったのは、十戒の精神である、愛と憐れみです。
愛がないなら、表面的に十戒を守ったとしても意味がありません。
愛と憐れみこそ、十戒の精神だからです。
十戒の精神
御子が教えたのは、十戒の文字だけでなく、その精神である「愛と憐れみ」でした。
御子を信じる私たちは、この教えに従って生きる必要があります。
ヨハネの福音書
3:36 御子を信じる者は永遠の命をもつ。御子に従わない者は、命にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまるのである」。
ところが、「もはや律法を守る必要はなくなった、愛するだけでよくなった」と教える人たちがいます。
その場合、愛とはどのように定義されるのでしょう。
人それぞれ、自分勝手な愛を実践すれば、それでいいのでしょうか。
イスラム教の教典では、人をイスラム教に改宗させることが愛であり、改宗しないなら殺してあげることが憐れみだと教えられています。それでいいのでしょうか。
いいえ。そんなことにならないように、神様は律法をくださったのです。
神のほかに神があるなら、それは愛ではありません。
殺したり姦淫したりするなら、それは愛ではありません。
十戒の1から4を守ることが神への愛であり、5から10を守ることが隣人への愛なのです。
ローマ人への手紙
13:8 互に愛し合うことの外は、何人にも借りがあってはならない。人を愛する者は、律法を全うするのである。
13:9 「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」など、そのほかに、どんな戒めがあっても、結局「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」というこの言葉に帰する。
マタイの福音書
22:37 イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。
22:38 これがいちばん大切な、第一のいましめである。
22:39 第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。
22:40 これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている」。
十戒を心においても守ること
十戒を心においても守ることを、主は「パリサイ人にまさる義」と呼びました。
マタイの福音書
5:19 それだから、これらの最も小さいいましめの一つでも破り、またそうするように人に教えたりする者は、天国で最も小さい者と呼ばれるであろう。しかし、これをおこないまたそう教える者は、天国で大いなる者と呼ばれるであろう。
5:20 わたしは言っておく。あなたがたの義が律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、決して天国に、はいることはできない。
すなわち、パリサイ人以上に十戒を守る者でなければ、決して天国に入ることはできないというのです。
その具体例を、主は次のように教えておられます。
マタイの福音書
5:21 昔の人々に『殺すな。殺す者は裁判を受けねばならない』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。
5:22 しかし、わたしはあなたがたに言う。兄弟に対して怒る者は、だれでも裁判を受けねばならない。兄弟にむかって愚か者と言う者は、議会に引きわたされるであろう。また、ばか者と言う者は、地獄の火に投げ込まれるであろう。
マタイの福音書
5:27 『姦淫するな』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。
5:28 しかし、わたしはあなたがたに言う。だれでも、情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである。
これこそが、聖書の教える「本当の義の基準」です。
どうやって守るのか
パリサイ人でも守れなかったこの基準を、私たちはどうやって守ればいいのでしょうか。
答えは、世の罪を取り除く神の子羊を信じて、この基準に取り組むことです。
そうするなら、私たちは罪の支配から逃れ、義の支配に移ると教えられています。
ローマ人への手紙
6:17 しかし、神に感謝すべきことに、あなたがたは、かつては罪の奴隷でしたが、伝えられた教えの基準に心から聞き従って、
6:18 罪から自由にされ、義の奴隷となったのです。
新約
なぜ、心から聞き従おうとする人は、罪から解放され、義の支配に移ることができるのでしょうか。
それは、新約が与えられるからです。
ヘブル人への手紙
8:10 わたしが、それらの日の後、イスラエルの家と立てようとする契約はこれである、と主が言われる。すなわち、わたしの律法を彼らの思いの中に入れ、彼らの心に書きつけよう。こうして、わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となるであろう。
このように、神の霊によって心に律法を書きつけてもらうことで、その教えが本心となるのです。
この律法が十戒であることは、聖書を読む人ならすぐに分かるはずです。十戒のほかに、神の指によって書かれた律法は一つもないからです。
御子を信じる者とは
ペテロの手紙 第一
2:24 キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。それは、私たちが罪を離れ、義に生きるため。その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒やされた。
御子を信じる者はもれなく、この癒やしを受けて生きることができます。
あなたはこの癒やしを受けているでしょうか。
受けていないとしたら、それは信じて行動していないからです。
御子を信じる者とは、イエス・キリストが世の罪を取り除く神の子羊であることを信じ、その教えの基準に心から聞き従う人のことです。
額に神の印はありますか
申命記5〜11章を、ぜひご自身の目で読んでみてください。
これは新しい世代に向けて、十戒の守り方を教えたものだからです。
その中には、こう書かれています。
申命記
6:8 これをしるしとして自分の手に結び付け、記章として額の上に置きなさい。
あなたの手と額には、十戒がありますか?
額とは、すなわち私たちの「思い」であり、
手とは、すなわち私たちの「行い」です。
つまり、十戒を心においても守り、愛と憐れみを実践する者となりなさいということです。
これこそが、御子が回復しようとした教えです。
この教えを聞いて行うならば、私たちは決して倒れることがありません。
マタイの福音書
7:24 それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。
7:25 雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけても、倒れることはない。岩を土台としているからである。
おわりに
あなたは「御子を信じる者」となっていたでしょうか。
御子を信じる者とは、イエス・キリストが世の罪を取り除く神の子羊であることを信じ、その教えの基準に心から聞き従う人のことです。
「いや、律法を守れるはずがない」
「赦してもらうしかないんだ」
そう言い続けますか?
ヨハネの福音書
5:8 イエスは彼に言われた、「起きて、あなたの床を取りあげ、そして歩きなさい」。
起きて歩かないなら、この癒やしは受け取れません。
立ち上がりましょう。
信じて歩き始めるなら、驚くべき神の御業があなたに臨みます。
聖書がそのように教えているからです。
信じましょう。
正しいのは、いつだって聖書だからです。
(気に入った記事はSNSでシェアしていただければ幸いです)