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七の周期に見る、世の終わり
はじめに
私たち人類は、日、月、年などの周期をもって生活しています。
これらの周期は、天体の動きから、いつでも確認できます。
ところが、週はどうでしょう。
この周期だけは、どの天体からも観測することはできません。
にもかかわらず、古来より、人類はこの周期を使って生活してきました。
最も古い文明とされるメソポタミアでさえ、すでに週制度を使っていたのです。
一体、この七の周期はどこから来たのでしょうか。
聖書だけが、その答えを教えてくれます。
神の働かれる周期
七の周期は、神様の働かれる周期であり、世界が創造されたときから存在していました。
創世記
2:1 こうして天と地と、その万象とが完成した。
2:2 神は第七日にその作業を終えられた。すなわち、そのすべての作業を終って第七日に休まれた。
2:3 神はその第七日を祝福して、これを聖別された。神がこの日に、そのすべての創造のわざを終って休まれたからである。
このことを人々に伝えたのは、アダムです。
各地の文明がこの周期を使っているのは、アダムが子孫たちに伝えたからにほかなりません。
まずは、これが聖書に由来する、神様の働かれる周期であることを覚えてください。
エリコの陥落
難攻不落のエリコを攻めるとき、神様は、七日にわたって町の周囲を回り、ラッパを吹き鳴らすように命じました。
ヨシュア記
6:3 あなたがた、いくさびとはみな、町を巡って、町の周囲を一度回らなければならない。六日の間そのようにしなければならない。
6:4 七人の祭司たちは、おのおの雄羊の角のラッパを携えて、箱に先立たなければならない。そして七日目には七度町を巡り、祭司たちはラッパを吹き鳴らさなければならない。
七日目は特別な日で、その日だけは七度、町を巡るように命じられました。
そうして城壁は崩れ落ち、エリコは滅んだのです。
これと同じことが、黙示録にも見られます。
エリコのときと同じく、七度、ラッパが吹き鳴らされ、七つ目のラッパのときには、七度、災いが起こります。
そうして天と地は焼け崩れ、世は滅びるのです。
世の滅びるとき
世の滅びは、主の来臨とともにやって来ます。
この来臨の日について、聖書はどう教えているでしょうか。
ペテロの手紙 第二
3:8 愛する者たちよ。この一事を忘れてはならない。主にあっては、一日は千年のようであり、千年は一日のようである。
3:9 ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである。
3:10 しかし、主の日は盗人のように襲って来る。その日には、天は大音響をたてて消え去り、天体は焼けてくずれ、地とその上に造り出されたものも、みな焼きつくされるであろう。
神様は、人類全体に対しても、七の周期で働かれます。
その場合の一日は、千年に等しいのだと教えられています。
実際、アダムからアブラハム契約までの年数は、約2000年です。
そしてアブラハム契約からキリストの出現までが、約2000年。
キリストの出現から現在までが、約2000年。
すなわち、神が働かれてから、もう6000年、すなわち六日がたっているのです。
すると神様の目に、七日目の到来は、もう間近なのかもしれません。
その日は、主の来臨と世の滅びをもって始まります。そうして、主と聖徒による安息日、すなわち1000年の統治期間が始まるのです。
主の命令を守らないクリスチャン
主の命令の中で、99%のクリスチャンが守ってこなかった命令があります。
それは次の命令です。
「あなたがたの逃げるのが、冬または安息日にならないように祈れ」
実際、この命令を守ったことはあるでしょうか。
守らないのは、「安息日は廃された」とか「クリスチャンは大患難を通らない」と教えられてきたからではないでしょうか。
それならなぜ、主は次のように言われたのでしょう。
マタイの福音書
24:19 その日には、身重の女と乳飲み子をもつ女とは、不幸である。
24:20 あなたがたの逃げるのが、冬または安息日にならないように祈れ。
24:21 その時には、世の初めから現在に至るまで、かつてなく今後もないような大きな患難が起るからである。
はっきり言いましょう。
かつてなく今後もない大患難を、私たちは通ります。今がその時です。
人々が「平和だ、安全だ」と言っている今、このことが起こっているのです。
目を覚まして、この大患難に気づいてください。それはとても激しいものです。
というのも、敵の蒔いた毒麦のせいで、多くの教会が、生きているとは名ばかりで、じつは死んでいる状態にあるからです。
「身重の女」「乳飲み子をもつ女」とは、未信者や、堅い食物を受け付けない信者を持つ教会のことです。
ヘブル人への手紙
5:12 あなたがたは、久しい以前からすでに教師となっているはずなのに、もう一度神の言の初歩を、人から手ほどきしてもらわねばならない始末である。あなたがたは堅い食物ではなく、乳を必要としている。
5:13 すべて乳を飲んでいる者は、幼な子なのだから、義の言葉を味わうことができない。
このような教会は不幸です。患難に耐えることができないからです。
神の印と獣の印
このことを知っておいてください。
安息日を聖別し、神の契約である十戒を堅く守る人の手と額には、神の印が押されます。
申命記
6:8 これ(十戒)をしるしとして自分の手に結び付け、記章として額の上に置きなさい。
ヨハネの黙示録
7:3 「わたしたちの神の僕らの額に、わたしたちが印をおしてしまうまでは、地と海と木とをそこなってはならない」。
反対に、安息日を汚し、獣の定めた時と律法に従う人の手と額には、獣の印が押されます。
ダニエル書
7:25 彼は、いと高き者に敵して言葉を出し、かつ、いと高き者の聖徒を悩ます。彼はまた時と律法とを変えようと望む。聖徒はひと時と、ふた時と、半時の間、彼の手にわたされる。
ヨハネの黙示録
13:16 また、小さき者にも、大いなる者にも、富める者にも、貧しき者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々に、その右の手あるいは額に刻印を押させ、
13:17 この刻印のない者はみな、物を買うことも売ることもできないようにした。この刻印は、その獣の名、または、その名の数字のことである。
あなたはどうでしょうか。
神の安息日を捨て、獣の定めた時と律法に従ってはいませんか?
これこそが、しるしです。
私たちが何に従うかによって、その主人の印が押されるのです。
エゼキエル書
20:20 わが安息日を聖別せよ。これはわたしとあなたがたとの間のしるしとなって、主なるわたしがあなたがたの神であることを、あなたがたに知らせるためである。
罪を犯す者
聖書を読めば分かるように、安息日を汚すことは律法違反です。
この律法違反を、聖書は「罪」と呼んでいるのです。
ヨハネの手紙 第一
3:4 罪を犯している者はみな、律法に違反しています。罪とは律法に違反することです。
3:5 あなたがたが知っているとおり、キリストは罪(律法違反)を取り除くために現れたのであり、この方のうちに罪はありません。
3:6 キリストにとどまる者はだれも、罪(律法違反)を犯しません。罪(律法違反)を犯す者はだれも、キリストを見たこともなく、知ってもいません。
もうおわかりのとおり、多くのクリスチャンが罪を犯しており、キリストを知らない者とみなされています。
絶対にそのような状態にいてはいけません。
人々を助けたければ、まずはあなたが背教した教会を出て、山へ逃げる必要があります。
ヨハネの黙示録
18:4 わたしはまた、もうひとつの声が天から出るのを聞いた、「わたしの民よ。彼女から離れ去って、その罪(律法違反)にあずからないようにし、その災害に巻き込まれないようにせよ。
今、世界中でこの警告が叫ばれています。
夏が近づいて、人々が山へ逃げ始めているのです。
もう、逃げるときは来ています
マタイの福音書
24:32 いちじくの木からこの譬を学びなさい。その枝が柔らかになり、葉が出るようになると、夏の近いことがわかる。
24:33 そのように、すべてこれらのことを見たならば、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。
「夏が近い」とは何でしょう。
イエス様は、ギリシャ語ではなく、ヘブライ語で語られたことを念頭に置いてください。
「夏(カイツ)」というヘブライ語は、「収穫」や「収穫物」と同じ言葉です。
そしてこれは「終わり(ケーツ)」と語呂合わせで使われる言葉でもあります。
アモス書
8:2 主は言われた、「アモスよ、あなたは何を見るか」。わたしは「ひとかごの夏のくだもの(カイツ)」と答えた。すると主はわたしに言われた、「わが民イスラエルの終り(ケーツ)がきた。わたしは再び彼らを見過しにしない。
つまり「夏が近い」とは、収穫が近い、終わりが近いということです。
マタイの福音書
13:39 それをまいた敵は悪魔である。収穫とは世の終りのことで、刈る者は御使たちである。
また無花果とは、神の民である私たちのことです。
その無花果に、収穫が近づいているのです。
枝が柔らかになり、葉が出てきているからです。
それは、神の契約である十戒が回復され、安息日を守る人々が増えてきていることから分かります。
彼らはもう、聖なる山へ逃れ、天と地と海と水の源とを造られた方を、正しく礼拝しています。
イザヤ書
56:6 また主に連なり、主に仕え、主の名を愛し、そのしもべとなり、すべて安息日を守って、これを汚さず、わが契約を堅く守る異邦人は──
56:7 わたしはこれをわが聖なる山にこさせ、わが祈の家のうちで楽しませる、彼らの燔祭と犠牲とは、わが祭壇の上に受けいれられる。わが家はすべての民の祈の家ととなえられるからである」。
命に入りたければ、この聖なる山へ逃れてください。
今夜にも主は来られ、聖徒たちは1000年間の安息日に入るかもしれないのです。
そのとき、逃げなかった人々の前で戸は閉じられ、彼らは暗闇で泣いて歯ぎしりすることになるでしょう。
ですから、あなたがたの逃げるのが、冬や安息日にならないようにしてください。
聖書には二つの季節、「夏期(カイツ)」と「冬期(ホレフ)」しかありません。
夏が過ぎれば、もう機会はないのです。冬や安息日は、もう手遅れであることを覚えてください。
おわりに
私たちは聖書の中に、七の周期で働かれる神様の摂理を見ることができます。
これを覚え、安息日を聖別することは、とても大切なことです。
これを心に留める従順な人だけが、神の第七日、すなわち千年王国と呼ばれる神の安息日に入ると聖書は教えます。
ヘブル人への手紙
4:9 したがって、安息日の休みは、神の民のためにまだ残されています。
4:10 神の安息に入る人は、神がご自分のわざを休まれたように、自分のわざを休むのです。
4:11 ですから、だれも、あの不従順の悪い例に倣って落伍しないように、この安息に入るように努めようではありませんか。
あなたは、神が休まれたように、自分も休んでいますか?
この安息に入るように、努力していますか?
どうか、手遅れにならないように、真剣に考えてみてください。
また、兄弟姉妹にも教えてあげてください。
このブログを信じる必要はありません。
人の教えを捨てて、聖書を信じるときが来ています。
正しいのは、いつだって聖書だからです。
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