来たるべきものの影
はじめに
聖書は、ある律法のことを「来たるべきものの影」と呼んでいます。
とはいえ、殺すな、姦淫するな、などの教えを、「来たるべきものの影」と考えるクリスチャンはいないと思います。
では一体何が、「来たるべきものの影」なのでしょうか。
このことについて、私たちは正確に理解する必要があります。
来たるべきものの影
聖書は、どの律法を「影」と呼んでいるのでしょうか。
結論から言うと、モーセ律法の儀式を、キリストの影と呼んでいるのです。
このとおり、モーセ律法のささげ物は影であり、キリストを予表するものに過ぎないことが教えられています。
本体はキリスト
キリストは天の聖所で大祭司の働きをしており、地上の幕屋や儀式は、その雛形と影に過ぎないのだと聖書は教えます。
このとおり、モーセ律法の儀式を「影」と呼び、地上の幕屋を天の聖所の「雛形」と呼んでいるのです。
さて、本体である天の聖所には、何が置かれているでしょうか。
神の聖所(ナオス)に置かれた契約の箱
地上の幕屋や神殿と同じく、神の聖所(ナオス)にも契約の箱が置かれています。
もちろん、その中に収められているのは、神の原則である十戒です。
これは本体ですから、十戒を「影」と呼ぶことはできません。
だからこそ、殺すな、姦淫するななどの教えが有効なのです。
そして聖書によれば、私たちの体もまた、神の聖所(ナオス)なのです。
この聖所(ナオス)にも、十戒は収められているのでしょうか。
もちろんそうです。
神の宮(ナオス)と呼ばれる場所には、例外なく十戒があり、神の御霊が住まわれることを覚えてください。
安息日
「来たるべきものの影」には、食物規定や祭りなどと一緒に、安息日という言葉が連なります。
かつての私は、この聖句を見て、鬼の首を取ったかのように
「ほら見ろ、安息日もまた、影に過ぎないのだ!」
と豪語していました。
しかし、文脈を無視してはいけません。
これらは明らかに、モーセ律法について述べられたことです。
知らない人は、知ってください。十戒の安息日とは別に、モーセ律法にも安息日があるのです。
モーセ律法には、ラッパの祭り、種なしパンの祭り、仮庵の祭りの開始と終わりなど、年に七回の安息日があります。
この安息日と、十戒の安息日が重なる日は、大いなる安息日と呼ばれます。
このことを知らずに豪語していた私は、自分の無知と傲慢さを、周囲にさらしていたに過ぎなかったのです。
罪の奴隷
かつての私が、安息日に噛みついていた理由は、日曜礼拝を擁護するためにほかなりません。
同じことをしている方が、大勢おられるはずです。
ここで知ってください。
殺人や姦淫が罪であるように、安息日を汚すことは罪であり、十戒に背くことは不法です。
もう、こんなことを続けてはいけません。
私たちは、主が歩かれたように歩く必要があります。
安息日の廃止を告げる聖句など、どこにもないのです。
それどころか、安息日は、神の民のためにまだ残されていると聖書は教えます。
おわりに
「来たるべきものの影」とは何か、おわかりいただけたでしょうか。
それは、モーセ律法の儀式であり、本体はキリストです。
本体であるキリストは、今、天の聖所で大祭司の働きを行っています。
十戒を前に、私たちの執り成しをしておられるのです。
このことを正しく理解すると、本当に聖書が読みやすくなります。
とはいえ、これらの忠告を受け入れられない人の心も、痛いほどよくわかります。
かつての私がそうだったからです。
私たち教会は、何百年ものあいだ、日曜礼拝を行ってきました。
少し前までは、「日曜日が安息日である」としつつ、十戒はかろうじて保持されていました。
けれど、聖書研究が進むにつれて、安息日が復活の前日であり、間違いなく金曜の日没から土曜の日没までであることがわかると、私たちは十戒を捨てる道を選んだのです。
これが事実であることは、皆、わかっているはずです。
それならどうしますか。
答えは一つしかありません。
悔い改めるのです。
世の初めからある「神の原則」に従うことは、私たちに本当の喜びをもたらします。
火が使えなくなる、風呂に入れなくなる、エレベーターのボタンが押せなくなる、そんな心配をする必要はありません。
それは、あとから加えられたモーセ律法と、パリサイ人の言い伝えに属するものです。
それよりも、父の御心は何であるかに目を向けてください。
あなたは、天国で、ずっと神様とともに過ごしたいですよね。
それなら、この地上においても、安息日をそのように過ごせばいいのです。
仕事が心配ですか? 人の目が気になりますか?
「安息日を休みたい」と願い求める人たちは、皆、神様によって新しい生活へと導かれています。
まずは、主を信頼し、求めるところから始めてみませんか?
何もかも捨てて、主の御心を聖書から見つけましょう。
正しいのは、いつだって聖書だからです。
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