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人は罪を犯さない者になれるのか

はじめに

私たちは罪を犯さない者になれるのでしょうか。

クリスチャンであっても、意見の分かれるテーマかと思います。

今、聖書が何と教えているか、確認してみましょう。

聖書の教え

ヨハネの手紙 第一
3:4 罪を犯している者はみな、律法に違反しています。罪とは律法に違反することです。
3:5 あなたがたが知っているとおり、キリストは罪を取り除くために現れたのであり、この方のうちに罪はありません。
3:6 キリストにとどまる者はだれも、罪を犯しません。罪を犯す者はだれも、キリストを見たこともなく、知ってもいません

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

キリストにとどまる者は誰も、罪を犯さない、これが聖書の教えです。

キリストは律法違反を取り除くために現れたのであり、律法に違反する人は誰も、キリストを知らないのだと聖書は教えます。

このことに同意しますか?
まずは、同意するか、拒絶するか、私たちは選ばなくてはなりません

ヨハネの手紙 第一
4:6 しかし、わたしたちは神から出たものである。神を知っている者は、わたしたちの言うことを聞き、神から出ない者は、わたしたちの言うことを聞かない。これによって、わたしたちは、真理の霊と迷いの霊との区別を知るのである。

ここで、教派の教えを捨てることに葛藤を覚える人もいるでしょう。

けれど大切なのは、神の言葉聖書に立ち返ることです。

今、勇気を出してください。
聖書こそ真理です。そう信じて、あなたはクリスチャンとなったのではありませんか。

新しく生まれなければ、誰も神の国を見ることはできない

ヨハネの福音書
3:3 イエスは答えて言われた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」。

このとおり、神から生まれ直さなければ、誰も神の国を見ることはできません。

ところで、神から生まれ直しているかどうかは、どうやって知ることができるでしょうか。

ヨハネの手紙 第一
2:29 あなたがたは、神が正しい方であると知っているなら、義を行う者もみな神から生まれたことが分かるはずです。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

義を行う者、それによって神から生まれたことがわかるのです。
そのような人を、聖書は義人と呼びます。

罪をゆるされた人が義人なのではありません。
義を行う者が義人であることを覚えてください。

ヨハネの手紙 第一
3:7 子たちよ。だれにも惑わされてはならない。彼が義人であると同様に、義を行う者は義人である

義人はいない?

すると、「義人はいない!」と言って怒り出す人がいます。

まずは落ち着いて、聖書を見てみましょう。

ローマ人への手紙
3:10 次のように書いてある、「義人はいない、ひとりもいない。
3:11 悟りのある人はいない、神を求める人はいない
(途中省略)
3:18 彼らの目の前には、神に対する恐れがない」。

この聖句は、今のあなたのことをうたったものですか?

いいえ。新生する前の人についてうたったものです。

今、少しだけ謙遜になってみませんか?
へりくだって、神の言葉に目を向けてみませんか?

ヨハネの手紙 第一
3:9 すべて神から生れた者は、罪を犯さない。神の種が、その人のうちにとどまっているからである。また、その人は、神から生れた者であるから、罪を犯すことができない
3:10 神の子と悪魔の子との区別は、これによって明らかである。すなわち、すべて義を行わない者は、神から出た者ではない。兄弟を愛さない者も、同様である。

このとおり、神から生まれた者は、罪を犯しません
義を行わない者は、神から出た者ではないと書いてあります。

これ以上かたくなになる必要がどこにあるでしょうか。
間違った教えから出て、義人となるときが来たのです。

本当の恵み

聖書の教える本当の恵みとは何でしょう。

それは、私たちが罪を離れ、義人となることです。

ペテロの手紙 第一
2:24 キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。それは、私たちが罪を離れ、義に生きるため。その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒やされた。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会(別訳より)

じつにこのために、キリストは十字架上で死なれたのです。
この犠牲を、けっしてむだにしてはいけません。

この癒やしを信じないなら、しゅもあなたを癒やすことはできません。

マルコの福音書
6:5 そして、そこでは力あるわざを一つもすることができず、ただ少数の病人に手をおいていやされただけであった。
6:6 そして、彼らの不信仰を驚き怪しまれた──

罪の癒やしを信じない人は、癒やされない。
サタンはこのことをよく知っているので、神学を書き換えたのです。
すなわち、「おまえたちは死ぬまで罪人のままだ」というにせの教理を持ち込み、誰も癒やされないようにしたのです。

以来、それは教会の常識となりました。
神学校を出た牧師たちは、今も疑いなく、そのことを教会で教えています。

しかし覚えてください。
先ほど確認したとおり、それは聖書の教えではありません

聖書は間違いなく、私たちは義人とされると教えています。

ローマ人への手紙
5:19 すなわち、ひとりの人の不従順によって、多くの人が罪人とされたと同じように、ひとりの従順によって、多くの人が義人とされるのである。

この恵みを信じて受け取る人は、救われます。

ペテロの手紙 第一
4:18 また義人でさえ、かろうじて救われるのだとすれば、不信なる者や罪人は、どうなるであろうか。

一方、信じない人は救われません。

マタイの福音書
13:49 世の終りにも、そのとおりになるであろう。すなわち、御使たちがきて、義人のうちから悪人をえり分け
13:50 そして炉の火に投げこむであろう。そこでは泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。

罪人のままでいようとする人、信じない人は、けっして天国へ入れないのです。

おわりに

人は罪を犯さない者になれます

とはいえ、自分には罪がないというなら、それは偽証です。
新生したあとも、肉体の持つ罪の性質のゆえに、失敗することもあるでしょう。

しかし、心では神の律法に仕える者となるのです。

ローマ人への手紙
7:25 わたしたちの主イエス・キリストによって、神は感謝すべきかな。このようにして、わたし自身は、心では神の律法に仕えているが、肉では罪の律法に仕えているのである。

これが本当のクリスチャンの姿です。
心に十戒じっかいが据えられて、そこに神の霊が宿っているのです。

この御霊みたまによって歩む限り、私たちはけっして肉の欲を満たすことはないと約束されています。

ガラテヤ人への手紙
5:16 わたしは命じる、御霊によって歩きなさい。そうすれば、決して肉の欲を満たすことはない

これが聖書の教えです。

一方、罪人のままだという主流派の神学は、間違いです。

「主流派の神学が間違いだって? そんなはずはない!」
そう思う気持ちはわかります。かつての私もそうでした。

しかし、そう思う人たちが、自分たちの救い主を十字架につけてしまったのではありませんか。

聖書を見てください。
聖書はずっと、真の信仰者は少ないことを教えているはずです。

しゅは、
「死ぬまであなたを罪人のままにしておこう」
と教えているでしょうか?

いいえ。

「罪の奴隷から解放し、あなたに自由を得させる」
と教えているではありませんか(ヨハネ8:36)。

この恵みを信じて、受け取りましょう。

そのためには、サタンに毒された神学を残らず捨てて、聖書に立ち返る必要があります。

このブログを信じる必要はありません。
ただ、聖書を信じる者となってください。
正しいのは、いつだって聖書だからです。

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