人は罪を犯さない者になれるのか
はじめに
私たちは罪を犯さない者になれるのでしょうか。
クリスチャンであっても、意見の分かれるテーマかと思います。
今、聖書が何と教えているか、確認してみましょう。
聖書の教え
キリストに留まる者は誰も、罪を犯さない、これが聖書の教えです。
キリストは律法違反を取り除くために現れたのであり、律法に違反する人は誰も、キリストを知らないのだと聖書は教えます。
このことに同意しますか?
まずは、同意するか、拒絶するか、私たちは選ばなくてはなりません。
ここで、教派の教えを捨てることに葛藤を覚える人もいるでしょう。
けれど大切なのは、神の言葉、聖書に立ち返ることです。
今、勇気を出してください。
聖書こそ真理です。そう信じて、あなたはクリスチャンとなったのではありませんか。
新しく生まれなければ、誰も神の国を見ることはできない
このとおり、神から生まれ直さなければ、誰も神の国を見ることはできません。
ところで、神から生まれ直しているかどうかは、どうやって知ることができるでしょうか。
義を行う者、それによって神から生まれたことがわかるのです。
そのような人を、聖書は義人と呼びます。
罪を赦された人が義人なのではありません。
義を行う者が義人であることを覚えてください。
義人はいない?
すると、「義人はいない!」と言って怒り出す人がいます。
まずは落ち着いて、聖書を見てみましょう。
この聖句は、今のあなたのことを謳ったものですか?
いいえ。新生する前の人について謳ったものです。
今、少しだけ謙遜になってみませんか?
へりくだって、神の言葉に目を向けてみませんか?
このとおり、神から生まれた者は、罪を犯しません。
義を行わない者は、神から出た者ではないと書いてあります。
これ以上頑になる必要がどこにあるでしょうか。
間違った教えから出て、義人となるときが来たのです。
本当の恵み
聖書の教える本当の恵みとは何でしょう。
それは、私たちが罪を離れ、義人となることです。
じつにこのために、キリストは十字架上で死なれたのです。
この犠牲を、けっしてむだにしてはいけません。
この癒やしを信じないなら、主もあなたを癒やすことはできません。
罪の癒やしを信じない人は、癒やされない。
サタンはこのことをよく知っているので、神学を書き換えたのです。
すなわち、「おまえたちは死ぬまで罪人のままだ」という偽の教理を持ち込み、誰も癒やされないようにしたのです。
以来、それは教会の常識となりました。
神学校を出た牧師たちは、今も疑いなく、そのことを教会で教えています。
しかし覚えてください。
先ほど確認したとおり、それは聖書の教えではありません。
聖書は間違いなく、私たちは義人とされると教えています。
この恵みを信じて受け取る人は、救われます。
一方、信じない人は救われません。
罪人のままでいようとする人、信じない人は、けっして天国へ入れないのです。
おわりに
人は罪を犯さない者になれます。
とはいえ、自分には罪がないというなら、それは偽証です。
新生したあとも、肉体の持つ罪の性質のゆえに、失敗することもあるでしょう。
しかし、心では神の律法に仕える者となるのです。
これが本当のクリスチャンの姿です。
心に十戒が据えられて、そこに神の霊が宿っているのです。
この御霊によって歩む限り、私たちはけっして肉の欲を満たすことはないと約束されています。
これが聖書の教えです。
一方、罪人のままだという主流派の神学は、間違いです。
「主流派の神学が間違いだって? そんなはずはない!」
そう思う気持ちはわかります。かつての私もそうでした。
しかし、そう思う人たちが、自分たちの救い主を十字架につけてしまったのではありませんか。
聖書を見てください。
聖書はずっと、真の信仰者は少ないことを教えているはずです。
主は、
「死ぬまであなたを罪人のままにしておこう」
と教えているでしょうか?
いいえ。
「罪の奴隷から解放し、あなたに自由を得させる」
と教えているではありませんか(ヨハネ8:36)。
この恵みを信じて、受け取りましょう。
そのためには、サタンに毒された神学を残らず捨てて、聖書に立ち返る必要があります。
このブログを信じる必要はありません。
ただ、聖書を信じる者となってください。
正しいのは、いつだって聖書だからです。
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