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食物規定について

はじめに

聖書には、食物についての教えがたくさん出てきます。

これについて、現代の私たちはどう考えればいいのでしょうか。

クリスチャンのあいだでも、様々な意見があるようです。

このことについて、聖書から慎重に確認してみましょう。

様々な食物規定

時代によって、人類には様々な食物規定が与えられてきました。

最初の食物規定は、アダムに与えられたものでした。

創世記
1:29 神はまた言われた、「わたしは全地のおもてにある種をもつすべての草と、種のある実を結ぶすべての木とをあなたがたに与える。これはあなたがたの食物となるであろう。

それから、ノアに与えられました。

創世記
9:3 すべて生きて動くものはあなたがたの食物となるであろう。さきに青草をあなたがたに与えたように、わたしはこれらのものを皆あなたがたに与える。
9:4 しかし肉を、その命である血のままで、食べてはならない。

そして、モーセに与えられました。

レビ記
11:2 「イスラエルの人々に言いなさい、『地にあるすべての獣のうち、あなたがたの食べることができる動物は次のとおりである。

問題は、この最後の食物規定について、私たちがどう考えるべきか、ということです。

モーセ律法と異邦人

教会ができて間もないころ、ユダヤ人信者と異邦人信者のあいだには、様々な意見の衝突がありました。
その中で、異邦人信者にもモーセ律法を守らせようとする人々が現れました。

使徒の働き
15:5 ところが、パリサイ派から信仰にはいってきた人たちが立って、「異邦人にも割礼を施し、またモーセの律法を守らせるべきである」と主張した。

これについては、結論が出ています。

使徒の働き
15:28 すなわち、聖霊とわたしたちとは、次の必要事項のほかは、どんな負担をも、あなたがたに負わせないことに決めた
15:29 それは、偶像に供えたものと、血と、絞め殺したものと、不品行とを、避けるということである。これらのものから遠ざかっておれば、それでよろしい。以上」。

食物規定と異邦人

このことが起こる前に、しゅはペテロを通して教えておられました。

使徒の働き
10:11 すると、天が開け、大きな布のような入れ物が、四すみをつるされて、地上に降りて来るのを見た。
10:12 その中には、地上の四つ足や這うもの、また空の鳥など、各種の生きものがはいっていた。
10:13 そして声が彼に聞えてきた、「ペテロよ。立って、それらをほふって食べなさい」。
10:14 ペテロは言った、「主よ、それはできません。わたしは今までに、清くないもの、汚れたものは、何一つ食べたことがありません」。
10:15 すると、声が二度目にかかってきた、「神がきよめたものを、清くないなどと言ってはならない」。

ある人は、これは食物規定の廃止を告げるものではないと言います。
そうかもしれませんが、注意してください。
少なくともしゅは、食物規定異邦人の救いを、関連付けて教えているのです。

というのも、割礼と食物規定は、ユダヤ人と異邦人を隔てるために、ひときわ大きな役割を担っていたからです。

異邦人に救いが及んだとき、しゅ食物規定異邦人の救いを関連付けて教えるのは当然です。

ペテロはこれを受け入れて、異邦人とともに食事をするようになりました。
ところが──

ペテロの失敗

ガラテヤ人への手紙
2:11 ところが、ケパ(ペテロ)がアンテオケにきたとき、彼に非難すべきことがあったので、わたしは面とむかって彼をなじった。
2:12 というのは、ヤコブのもとからある人々が来るまでは、彼は異邦人と食を共にしていたのに、彼らがきてからは、割礼の者どもを恐れ、しだいに身を引いて離れて行ったからである。
2:13 そして、ほかのユダヤ人たちも彼と共に偽善の行為をし、バルナバまでがそのような偽善に引きずり込まれた。

異邦人と食をともにするようになったペテロですが、人目を気にして、彼らの食卓から離れたのです。

パウロはこれを非難しました。

ガラテヤ人への手紙
2:14 彼らが福音の真理に従ってまっすぐに歩いていないのを見て、わたしは衆人の面前でケパに言った、「あなたは、ユダヤ人であるのに、自分自身はユダヤ人のように生活しないで、異邦人のように生活していながら、どうして異邦人にユダヤ人のようになることをしいるのか」。

「異邦人のように」「ユダヤ人のように」とは、文脈から食事のことについてだと分かります。

食物規定は益をもたらさない

ヘブル人への手紙
13:9 様々な異なった教えによって惑わされてはいけません。食物の規定によらず、恵みによって心を強くするのは良いことです。食物の規定にしたがって歩んでいる者たちは、益を得ませんでした

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

モーセ律法を自主的に守ることは、けっして悪いことではありません。
けれども、それが救いに関わるかのように歩むこと、また、そう教えることには、注意しなければなりません。

テモテへの手紙 第一
4:3 これらの偽り者どもは、結婚を禁じたり、食物を断つことを命じたりする。しかし食物は、信仰があり真理を認める者が、感謝して受けるようにと、神の造られたものである。
4:4 神の造られたものは、みな良いものであって、感謝して受けるなら、何ひとつ捨てるべきものはない
4:5 それらは、神の言と祈とによって、きよめられるからである。

ある人は、これはきよい食べ物についてのみ述べられているのだと言います。
そうかもしれませんが、文脈から、そうでない食べ物について「きよめられる」と解釈するのが自然です。

コリント人への手紙 第一
10:25 すべて市場で売られている物は、いちいち良心に問うことをしないで、食べるがよい。
10:26 地とそれに満ちている物とは、主のものだからである。

ローマ人への手紙
14:17 神の国は飲食ではなく、義と、平和と、聖霊における喜びとである。

ローマ人への手紙
14:20 食物のことで、神のみわざを破壊してはならない。すべての物はきよい。ただ、それを食べて人をつまずかせる者には、悪となる。

これらのことからいえる結論は一つ。
食べ物のことで救いの御業みわざが左右されるように考えてはいけない
それが聖書の教えです。

食物のことで誰かを苦しめるなら、愛はない

ローマ人への手紙
14:14 わたしは、主イエスにあって知りかつ確信している。それ自体、汚れているものは一つもない。ただ、それが汚れていると考える人にだけ、汚れているのである。
14:15 もし食物のゆえに兄弟を苦しめるなら、あなたは、もはや愛によって歩いているのではない。あなたの食物によって、兄弟を滅ぼしてはならない。キリストは彼のためにも、死なれたのである。

もう、食べ物のことで思い煩うのはやめましょう。
自主的に守りたい人は守る、それだけです。
守る人を蔑んではいけないし、守らない人を裁いてもいけません

ルカの福音書
12:22 それから弟子たちに言われた、「それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようかと、命のことで思いわずらい、何を着ようかとからだのことで思いわずらうな。

マルコの福音書
7:19 それは人の心の中にはいるのではなく、腹の中にはいり、そして、外に出て行くだけである」。イエスはこのように、どんな食物でもきよいものとされた

(中立の立場で書いておきますが、「どんな食物でもきよいものとされた」と訳さない聖書もあります)

おわりに

食物規定に関して、何かヒントは得られたでしょうか。

ここに書かれたことをみにせず、皆さんの目で聖書から確かめてみてください。

ローマ人への手紙
14:23 しかし、疑いながら食べる者は、信仰によらないから、罪に定められる。すべて信仰によらないことは、罪である。

聖書によれば、罪になるか、ならないかは、人によって異なるようです。

また、他人への配慮が必要なことも教えられています。

コリント人への手紙 第一
8:13 だから、もし食物がわたしの兄弟をつまずかせるなら、兄弟をつまずかせないために、わたしは永久に、断じて肉を食べることはしない。

真理は、聖書から受け取るしかありません。
正しいのは、いつだって聖書だからです。

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