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神学に潜む「獣の刻印」

はじめに

【神学】
宗教、特にキリスト教で、啓示に基づき教義や歴史や信仰生活のありかたなどを組織的に研究する学問。

広辞苑 第七版

私たちにとって聖書を学ぶことは非常に大切なことです。
けれど、多くのクリスチャンが学んでいるのは「聖書」ではなく「神学」です。

今日、このことについて、真剣に考えてみましょう。

本当の教師

私たちの教師はキリストのみだと聖書は教えます。

マタイの福音書
23:10 また、あなたがたは教師と呼ばれてはならない。あなたがたの教師はただひとり、すなわち、キリストである

教師の賜物たまものを持つ人は、じつにこのことを教えてあげなければいけません。
自分を師と呼ばせず、「キリストから直接学んでください」と教える人こそ、本物の教師なのです。

それなのになぜ、キリストから直接学ぶ人は、講壇に立てないのでしょうか。
一体なぜ、神学校を出た牧師だけが、講壇に立っているのでしょうか。

神学校を出た牧師たち

神学校を出なければ、正式な牧師として認められない時代です。

けれど、神学校を出ることは、ある意味、パリサイ派サドカイ派に入団することに似ています。
なぜなら、その人たちは習ってきた神学をそのまま教えるようになるからです。

これについて、しゅはどのように言っていたでしょうか。

マルコの福音書
7:7 人間のいましめを教として教え、無意味にわたしを拝んでいる』。
7:8 あなたがたは、神のいましめをさしおいて、人間の言伝えを固執している」。
7:9 また、言われた、「あなたがたは、自分たちの言伝えを守るために、よくも神のいましめを捨てたものだ

無意味な礼拝だと言っています。
自分たちの言い伝えを守るために、神の戒めを捨てたと言っています。

実際、多くの牧師が、自分たちの言い伝えを守るために、神の戒めを捨てています。
すなわち、「日曜礼拝」という言い伝えを守るために、神の戒めである「安息日」を捨てているのです。

このことから、どうか目を背けないでください。
へりくだった心で、一度、真剣に考えてみてください。

神の戒めを捨ててしまった私たち

「安息日が日曜に変わった」とか、「復活の日を祝え」という記述は、聖書のどこにもありません。
皆、人から伝え聞いた教えを、そのまま行っているのです。

かつての私もそうでした。

一方、聖書は次のように教えています。

ヘブル人への手紙
4:9 こういうわけで、安息日の休みが、神の民のためにまだ残されているのである

これについて、牧師たちがどう教えているのかを調べてみました。
ある牧師は「ここでの安息日とは、霊的成長に伴う喜びのことだ」と教え、ある牧師は「自分で自分を救うことから休むことだ」と教え、ある牧師は「わかりません」と答えていました。

彼らはなぜ、十戒じっかいの安息日がまだ残されている」と素直に教えることができないのでしょうか。

誰もがわかっているはずです。その理由は、教会がずっと安息日を無視してきたからです。そのことを、今さら間違いだと認めることができないからです。
そうやって、自分たちの神学を優先し、かたくなに真理を拒んでいるのです。

このような姿を、どこかで見たことはないでしょうか。
そうです、イエスを殺したパリサイ派サドカイ派の姿が、これとまったく同じなのです。

商売ができない

神学校を出ないでは、教会で教えることができない時代です。
そればかりか、「神学校を出ていない者の発言を信じるな」そう言って、伝道の邪魔をするクリスチャンさえいるのです。

このことは、けものの刻印を受けないでは、商売ができないことに似ています。

ヨハネの黙示録
13:17 この刻印のない者はみな、物を買うことも売ることもできないようにした──

商売とは何でしょう。

ルカの福音書
19:13 そこで十人の僕を呼び十ミナを渡して言った、『わたしが帰って来るまで、これで商売をしなさい』。

商売とは、キリストが王位を受けて帰って来るまでのあいだ、私たちに任された働きのことではないでしょうか。
この商売が今、神学を受け入れないでは、できないようにされているのではないでしょうか。

けものの刻印

ヨハネの黙示録
13:16 また、小さき者にも、大いなる者にも、富める者にも、貧しき者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々に、その右の手あるいは額に刻印を押させ

けものの刻印が何であるかは、聖書に明記されていません。

しかし、わかることもあります。

私たちのには、けものの刻印ではなく、十戒じっかいが置かれているべきなのです。

申命記
6:8 これ(十戒じっかい)をしるしとして自分のに結び付け、記章としての上に置きなさい。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

事実、けものの刻印を受けないためには、十戒じっかいを守って忍耐するようにと聖書は教えます。

ヨハネの黙示録
14:11 その苦しみの煙は世々限りなく立ちのぼり、そして、獣とその像とを拝む者、また、だれでもその名の刻印を受けている者は、昼も夜も休みが得られない。
14:12 ここに、神の戒めを守り、イエスを信じる信仰を持ちつづける聖徒の忍耐がある」。

あなたは、神の戒めを守り、イエスを信じる信仰を持ち続けているでしょうか。

マタイの福音書
5:19 それだから、これらの最も小さいいましめの一つでも破り、またそうするように人に教えたりする者は、天国で最も小さい者と呼ばれるであろう。しかし、これをおこないまたそう教える者は、天国で大いなる者と呼ばれるであろう。

もう一度尋ねます。
あなたは神の戒めを守っているでしょうか。このしゅの言葉を、神の言葉として受け取っているでしょうか。

聖所に立てられた契約の板

十戒じっかいこそが、契約の箱に入れられ、聖なる場所に立てられた、唯一の戒めです。ほかにはありません。

列王記 第一
8:6 祭司たちは主の契約の箱をその場所にかつぎ入れた。すなわち宮の本殿である至聖所のうちのケルビムの翼の下に置いた。
(途中省略)
8:9 箱の内には二つの石の板のほか何もなかった──

もちろん、これは天の聖所にも立てられています。

ヨハネの黙示録
11:19 そして、天にある神の聖所が開けて、聖所の中に契約の箱が見えた──

そればかりか、神の宮とされたクリスチャンの中にも立てられているのです。

ヘブル人への手紙
8:10 わたしが、それらの日の後、イスラエルの家と立てようとする契約はこれである、と主が言われる。すなわち、わたしの律法を彼らの思いの中に入れ、彼らの心に書きつけよう──

それなのに、この聖なる場所に立てられた契約を、あろうことか、ローマカトリックは書き換えてしまったのです。
それは昔から預言されていたことでした。

ダニエル書
7:25 彼は、いと高き者に敵して言葉を出し、かつ、いと高き者の聖徒を悩ます。彼はまた時(安息日)と律法(十戒じっかい)とを変えようと望む。聖徒はひと時と、ふた時と、半時の間、彼の手にわたされる。

こうして、聖なる場所から十戒じっかいは取り除かれ、今や安息日を除くにせ十戒じっかいが立っているのです。

これこそが、けものの刻印」また「荒らす憎むべきもの」だとは考えられないでしょうか。

マタイの福音書
24:15 預言者ダニエルによって言われた荒らす憎むべき者(もの)が、聖なる場所に立つのを見たならば(読者よ、悟れ)、
24:16 そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げよ

山へ逃げなさい

山へ逃げるとは何でしょう。

イザヤ書
56:6 また主に連なり、主に仕え、主の名を愛し、そのしもべとなり、すべて安息日を守って、これを汚さず、わが契約を堅く守る異邦人は──
56:7 わたしはこれをわが聖なる山にこさせ、わが祈の家のうちで楽しませる──

山へ逃げるとは、ここに書かれた人の特徴を備えて、神のもとへ行くことです。

もう、眠っている場合ではありません。山へ逃げるときは来ているのです。聖なる場所に立てられた十戒じっかいは打ち捨てられて、荒廃をもたらすにせの教えが立てられているからです。

間もなくしゅが来られます。
そのとき、「神の戒めを守り、イエスを信じる信仰を持ちつづける聖徒」だけがしゅのもとへ行くのです。

一方、かたくなに神の戒めを拒んだ人々は、次の言葉を聞くことになるでしょう。

マタイの福音書
7:23 そのとき、わたしは彼らにはっきり、こう言おう、『あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ』。

このことを、あなたは信じているでしょうか。
どうか、もうかたくなにならずに、信じて命を得る者となってください。

おわりに

神学に潜む危険をおわかりいただけたでしょうか。
神学に従うか、聖書に従うかで、私たちの行き先は大きく変わるのです。

あなたがこのブログを読んだことは、単なる偶然ではありません。
しゅがあなたの心の扉を必死にたたいておられるのです。

マタイの福音書
18:3 「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。

間違いを認めて方向を変えることを、聖書は「悔い改め」と呼びます。
この悔い改めの機会を、どうかふいにしないでください。

決して、パリサイ人の失敗を繰り返してはいけません。
今、心を入れ替えて、よちよちクリスチャンからやり直してみませんか?
聞いてきた教えをすべて手放して、聖書のみに歩んでみませんか?

このブログを信じる必要はありません。
人の教えをすべて捨て去って、聖書のみを信じましょう。
正しいのは、いつだって聖書だからです。

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