はじめに
ある人は、
「人は律法を守ることはできないから、赦してもらうしかない」
と教えます。
しかし、こう教える人もいます。
「人の力で律法を守ることはできないが、神の力で守ることができる」
一体、どちらが正しいのでしょうか。
人は律法を全うできる
聖書は、私たちが律法を全うできることを、何度も教えています。
御霊によって歩くなら、私たちは律法を全うできます。
また、人を愛することで、律法を全うできます。
また、信仰によって、律法を全うできます。
では、どの律法を全うできるのか
私たちが全うできる律法は、どの律法でしょうか。モーセ律法でしょうか。
無割礼の者でも、律法を全うできるとあります。ゆえにモーセ律法ではありません。
では、その律法とは何でしょう。
私たちはどの律法を、愛や信仰によって全うできるのでしょうか。
十戒です。
これはキリストの律法と同じものです。
キリストは、十戒の正しい守り方を人々に教えたのです。
これがキリストの律法です。それは神の原則そのものです。
このように、モーセ律法と、神の律法は、違うものです。
聖書は、愛によって、神の律法である十戒を全うできると教えているのです。
私たちは罪に勝利できる
キリストの十字架によって、私たちは罪に勝利できると教えられています。
罪とは何でしょう。
聖書は、十字架の力によって、私たちが罪に勝利し、律法を全うできることを保証しているのです。
奴隷のままではない
私たちは奴隷のままだと教えられていますか?
それとも、自由を得ると教えられていますか?
自由を得ると教えられています。
聖書は、間違いなく罪からの解放を教えています。
この恵みを、私たちは絶対に受け取らなくてはなりません。
なぜなら、この恵みを受け取った人に、永遠の命が約束されているからです。
罪との戦いは続く
罪から解放されても、罪との戦いが終わるわけではありません。
新しい体をいただくまでは、私たちの体は罪の性質を宿しているからです。
そのため、過失を犯すこともあるでしょう。
だからといって、落胆することはないのです。
全世界の罪は、すでに贖われているのです。
すると、全世界の人が天国へ入るのでしょうか。
聖書はそうは言っていませんね。
贖われた人が全員、天国へ入るのではありません。
贖われたことを信じ、これに感謝して、義に生きるようになった人が、天国へ入るのです。
おわりに
「私たちは赦してもらうしかない」
「赦された人が天国へ入る」
これは聖書の教えではありません。
新しく生まれなければ、誰も神の国を見ることはできないのです。
新しく生まれた人の特徴は、罪を犯さないことです。
こうなっていないとしたら、あなたの中に十戒が納められておらず、神の宮となっていないからです。
これは人の努力によるものではなく、受け取るものです。
「律法の要求を満たしたい」と心から願わない人に、助けは与えられません。
「律法を守れるはずがない」という不信仰な人にも、癒やしは与えられません。
間違った教えに従っていては、けっして正しいゴールにたどり着くことはないのです。
人の教えを捨て、聖書に立ち返りましょう。
正しいのは、いつだって聖書だからです。
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