裁きの神について
はじめに
私たちクリスチャンは、「愛なる神」のご性質を喜び、感謝しています。
ところが、「裁きの神」となるとどうでしょう。
正直に言うと、かつての私は、そのような神のご性質を敬遠していました。
それで無意識のうちに、「愛だけの神」という、勝手な偶像を造り上げていたのです。
あなたはどうでしょうか。
今日、神様のご性質を正しく受け入れ、真理を回復しましょう。
再臨のイエス様
多くのクリスチャンが、漠然と、間違った認識を持っています。
それは、イエス様が再び来られるのは、最後にたくさんの人を救うためである、という認識です。
確かにイエス様は、世を裁くためではなく、救うために来られました。
しかし、終わりの日には、そうではありません。
この日は、いつ来てもおかしくはないのです。
救いのときは今であり、間もなくそれが終わろうとしていることを覚えてください。
愛されているなら裁かれない?
次のような聖句から、私たちは愛されているから裁かれないと考える人がいます。
確かに、神の愛から私たちを引き離すものは何もありません。
救い主を受け入れたかどうかにかかわらず、神様はすべての人を愛しておられます。
だから全員無罪!
そんなことはあり得ません。
愛する妻や、自分の子供を、無罪にする裁判官がいたとしたら、公正な裁判官と言えるでしょうか。
これが聖書の教えです。
神様は、人をその行いに応じて公平に裁くのです。だから、地上にいるあいだ、恐れの心を持って過ごすべきだと聖書は教えているのです。
ここで注意してください。
ペテロは、未信者に向けてこう言っているのではありません。クリスチャンに向けて言っているのです。
彼を信じる者は裁かれない
聖書にはこうあります。
神様は、私たちを有罪判決から免れさせるために、御子を遣わされました。
しかし、曲解しないように気をつけてください。
先ほど確認したように、神様は「人をそれぞれのしわざに応じて、公平にさばく」のです。
クリスチャンになれば、有罪を免れるチケットをもらえる、というのではありません。それは免罪符の教えです。
聖書は、「キリストが私たちを罪から離れさせ、義に生きるようにしてくださるので、裁かれない」と教えているのです。
先ほどの聖句を意訳するなら、こうです。
彼を信じて従う者は、罪を離れ、義に生きるようになるので、有罪の裁きを免れる。信じない者は、すでに有罪の裁きを手にしているのである。
主は私たちに忍耐しておられる
ペテロは、「クリスチャンに向けて」何度も警告しています。
なぜ、クリスチャンにこのような警告をしているのでしょうか。
それはもちろん、私たちが滅びないためです。
思い込みを捨てて、目を覚ましてください。
「それだから──励みなさい」聖書は何度もそう教えているはずです。
それなのに、励むことをせず、聖霊によって「自動的に清くなる」と思っているクリスチャンが大勢います。
このような人たちに向けて、聖書は滅びないように警告しているのです。
確かに、私たちは自分自身を清くすることはできません。
それは霊なる主の働きによるものです。
とはいえ、聖書のどこを見ても、「自動的に」とは書かれていません。
励みなさい、努めなさい、戦いなさいと書かれています。
こう言うと、救いの確かさを冒涜していると言われることはわかっています。
しかし、聖書がそう言っているのです。
どうか、お一人お一人が、聖書の真理を選ばれますように。
おわりに
聖書の神様は、愛の神であると同時に、裁きの神でもあります。
それなのに、間違った神学のせいで、神への恐れが急速に失われつつあります。
もう、眠っていてはいけません。
励みましょう。私たちは必ず、愛によって律法を完成できるのです。
愛とは自発的なものであって、自動的なものではありません。
このような励ましを、聖書からたくさん受け取ってください。
「いつか清くされること」を待っているだけのクリスチャンが、あまりにも多いからです。
「いつか」とは、いつでしょう。
時間は何も解決しません。
私たちが清くされるのは、御霊の導きに従って歩む中でなされるのです。けっして「自動的」ではありません。
間違いなく、神は、人をその行いによって裁かれます。
だからこそ、霊によって歩むことの大切さを、聖書はしきりに教えているのです。
歩んでいる人は、安心して歩んでください。
私たちが悔い改めた罪は、すべて赦されているからです。
この歩みの先には、確かな希望があるのです。
歩んでいない人は、神への恐れを取り戻してください。
過失の罪は赦されても、聖霊に逆らう罪は赦されません。
そのような人は、裁きのとき、「何をしても赦されるのではなかったのか」と驚くことになるでしょう。
間もなくキリストが裁きのために来られます。
聖書の教えから離れず、最後まで忍耐して励みましょう。
正しいのは、いつだって聖書だからです。
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