
「七年の大患難」は正しい説なのか
はじめに
多くのクリスチャンのあいだで、七年間の大患難時代が来るという教えが、当たり前のように語られています。
かつての私も、これを盲目的に信じていました。
このことについて、私たちは今一度、聖書からきちんと確認する必要があります。
七十週の預言
ダニエル書には、「七十週の預言」と呼ばれる箇所があります。
「七年の大患難」説は、この箇所から生み出されました。
ダニエル書
9:24 あなたの民と、あなたの聖なる町については、七十週が定められています。これはとがを終らせ、罪に終りを告げ、不義をあがない、永遠の義をもたらし、幻と預言者を封じ(別訳:確証し)、いと聖なる者に油を注ぐためです。
冒頭でわかるように、これは神の民とエルサレムについての預言です。
「週」と訳された言葉は、七の周期を表す言葉であり、ここでは七年という意味で使われています。
つまり、神の民とエルサレムについて定められた期間は、七十週、すなわち490年間であると告げられているのです。
ダニエル書
9:25 それゆえ、エルサレムを建て直せという命令が出てから、メシヤなるひとりの君が来るまで、七週と六十二週あることを知り、かつ悟りなさい。その間に、しかも不安な時代に、エルサレムは広場と街路とをもって、建て直されるでしょう。
「週」は七年ですから、七週と六十二週は、483年となります。
実際、エルサレム再建の命令が出てから483年後、イエス・キリストがバプテスマのヨハネの前に現れました。
ダニエル書
9:26 その六十二週の後にメシヤは断たれるでしょう。ただし自分のためにではありません。またきたるべき君の民は、町と聖所とを滅ぼすでしょう。その終りは洪水のように臨むでしょう。そしてその終りまで戦争が続き、荒廃は定められています。
この預言のとおり、キリストは十字架で死なれました。
それからは荒廃が預言されています。
さて、七十週のうち、七週と六十二週(すなわち六十九週)が過ぎると、メシアは断たれるとありますが、この残りの一週については、さらに詳しく預言されています。
ダニエル書
9:27 彼は一週の間多くの者と、堅く契約を結ぶでしょう。そして彼はその週の半ばに、犠牲と供え物とを廃するでしょう。また荒す者が憎むべき者の翼に乗って来るでしょう。こうしてついにその定まった終りが、その荒す者の上に注がれるのです」。
これが、メシアの断たれる残りの一週についての預言です。
ところが、この残り一週を、遠い未来に起こる出来事とした人々がいるのです。
それが「七年の大患難」説の正体です。この説では、預言の「彼」を、未来に現れる独裁者と位置づけます。
しかし、これを遠い未来の出来事とする理由は何一つありません。
素直に読むなら、これはメシアが絶たれる残りの七年のことです。
「彼」とは当然、メシアなるひとりの君、イエス・キリストのことです。
実際、預言のとおり、「彼」は多くの人々と新しい契約を結びました。
そうして週の半ば、すなわち宣教から三年半たったとき、自らが全人類の罪の生け贄となって、犠牲と供え物を廃されたのです。
ヘブル人への手紙
10:8 ここで、初めに、「あなたは、いけにえとささげ物と燔祭と罪祭と(すなわち、律法に従ってささげられるもの)を望まれず、好まれもしなかった」とあり、
10:9 次に、「見よ、わたしは御旨を行うためにまいりました」とある。すなわち、彼は、後のものを立てるために、初めのものを廃止されたのである。
10:10 この御旨に基きただ一度イエス・キリストのからだがささげられたことによって、わたしたちはきよめられたのである。
残りの三年半
残りの七年のうち、三年半でメシアは断たれました。
すると、神の民とエルサレムについて定められた残りの三年半はどうなったのでしょうか。
一つは、こう解釈することができます。
そののち、弟子たちは三年半のあいだユダヤ人に宣教を続けたが、ついにステパノという殉教者が出て、ユダヤ人への宣教は終わった。
実際、その事件をきっかけに、パウロが動き出し、福音は異邦人へと移って行きました。
しかし、もっと素直に読む方法があります。
「また荒す者が憎むべき者の翼に乗って来る」とあるように、残りの三年半を、そのまま大患難と読む方法です。
ダニエル書
12:11 常供の燔祭(注:罪祭とは別)が取り除かれ、荒す憎むべきものが立てられる時から、千二百九十日が定められている。
この期間は延長されて、今も続いているのです。
大患難
三年半、すなわち1260日。それは聖書において、いつも大患難を表すキーワードとして使われてきました。
ヨハネの黙示録
12:6 女は荒野へ逃げて行った。そこには、彼女が千二百六十日のあいだ養われるように、神の用意された場所があった。
1260。この数字は、意味のないものではありません。
ダニエルの預言した、残りの三年半を示唆する数字なのです。
1260日、三年半、四十二か月、一時と二時と半時、これらはいつも、聖徒が逃げ、かくまわれる期間を表してきました。
この期間が終わると、主が来られ、天と地は焼かれます。
そして私たちが焼かれないために、この期間はずっと延長されてきたのです。
ペテロの手紙 第二
3:7 しかし、今の天と地とは、同じ御言によって保存され、不信仰な人々がさばかれ、滅ぼさるべき日に火で焼かれる時まで、そのまま保たれているのである。
3:8 愛する者たちよ。この一事を忘れてはならない。主にあっては、一日は千年のようであり、千年は一日のようである。
3:9 ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである。
ここで、残りの一週の記述を思い出してください。
「彼は一週の間多くの者と、堅く契約を結ぶ」とあったように、イエス・キリストは、今も多くの人と契約を結び続けています。
私たちが一人も滅びないように、主は長く忍耐しておられるのです。私たちのせいで、花婿が来るのが遅れているのです。
マタイの福音書
25:5 花婿の来るのがおくれたので、彼らはみな居眠りをして、寝てしまった。
25:6 夜中に、『さあ、花婿だ、迎えに出なさい』と呼ぶ声がした。
けれど、第七のラッパが吹かれるとき、この期間は終わります。
ヨハネの黙示録
10:7 第七の御使が吹き鳴らすラッパの音がする時には、神がその僕、預言者たちにお告げになったとおり、神の奥義は成就される」。
聖書はずっとこのことを教えてきました。
私たちはもう、大患難の渦中にいるのです。
この延長期間は、いつ終わるとも知れません。その日は不意にやって来ます。
用意ができていないなら、泣いて歯ぎしりすることになるでしょう。
間違った教えを信じ、「まずは未来の独裁者が来るはず」と思っているなら、戸が閉められることになるのです。
おわりに
「七年の大患難」や「患難前携挙説」など、間違った教えが、多くのクリスチャンを眠らせています。
メシアが絶たれて以来、荒廃が進んでいる証拠です。
ダニエルが預言したとおり、残りの三年半のあいだに、神の民とエルサレムは荒廃を続けているのです。
気づいてください。
聖書のいう神の民とは私たちであり、エルサレムも私たちのことなのです。
ペテロの手紙 第一
2:10 あなたがたは、以前は神の民でなかったが、いまは神の民であり、以前は、あわれみを受けたことのない者であったが、いまは、あわれみを受けた者となっている。
ヨハネの黙示録
3:12 勝利を得る者を、わたしの神の聖所における柱にしよう。彼は決して二度と外へ出ることはない。そして彼の上に、わたしの神の御名と、わたしの神の都、すなわち、天とわたしの神のみもとから下ってくる新しいエルサレムの名と、わたしの新しい名とを、書きつけよう。
これこそ、私たちの持つべき自己認識です。
エルサレムを建て直しましょう。荒れ果てた城壁の破れを繕うのです。
これが最後の働きとなるでしょう。真理を悟り、戒めを回復し、本当の悔い改めを宣べ伝えなければなりません。
間違った教えをすべて取り除き、聖書の真理を取り戻しましょう。
正しいのは、いつだって聖書だからです。
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