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フィジョワ、幻のフィジョワ⑤


④つづき


10日間の瞑想中

毎朝、毎昼、毎晩

食堂で交わされるのは、決して合わせてはいけない、視線



その、逸らした視線の先には

テーブルに盛られた食事や

そこにいる人々が皿の上に何を乗せて
どんな風に食べて

どんな服を着て
どんな歩き方をしているのか?


ひとことも言葉を交わすことなく、

同じ空間を共有する人間たちは

そのなかで”気の合いそうな人間””気に入らない人間”に目をつける。



10日間の沈黙が明けた後、

その時空を共有した人間たちがどんな声を発するのかを
初めて知るのだ。


じっと、自分の内側を観察しながら

沈黙の中で繰り広げられる人間模様もまた、

数多くのリフレクション(反応)を引き起こす。




さて、

毎食、メインの食事と一緒に必ず果物は置かれている。

バナナにオレンジ、りんごといった馴染みのあるフルーツは、
人気があるものは最初になくなる。

食事の時間をすぎて、ゆっくりと足を運ぶと、
ほとんど残り物しかなかったりする。



その場所に、時計は用意されていない。
腕時計の所有は許されているが、(アクセサリーは禁止)

アナウンスも何もない場所で、どうスケジュールされているかというと、

低くて静かな、それでいてとてつもなく存在感のある

ミャンマーだかチベット高の山奥からやってきたような
鐘の音が

時間になると、
センター中に鳴り響くのだ。


それは、本当に、遠くのほうから
聴こえるか聴こえないかくらい、ぼんやりしているのに

とてつもなく独特のバイブレーションで


わたしはその音が毎度、鼻血がでるか、はたまた

そのままオーガズムを迎えるかとおもうほど、
たまらなく好きであった。



世界でひとつだけ、一番好きな音を選びなさいと言われたら、

そのセンターでしか聴いたことがない鐘の音か、
または雪が降っているときの空気が擦れる音のどちらか

結構迷うくらい

虜になったのち、下界でもずっとその音を探し続けている。




最初の頃、

自分の持つ時計を見ながらカウントダウンしつつ

鐘の音が鳴り響くと同時か直前くらいに

前のめりに食堂に向かっていた。



そこは、欲望や煩悩との戦いであると同時に

食いたいもんをいかに確保するか、死守せねばいけない戦場でもあった。



だいたい食堂に現れる
食い意地の張った、がめついメンバーの順番というものは決まっている。

時々出遅れて、オレンジが売り切れていてがっくりしながら、
唯一の楽しみであった食事に対する執着を

断ち切る練習をそこでした。



上級者になればなるほど、
とてもゆったり余裕を見せながら、10分くらい遅くに

あえて食堂にやってきたりする。カッコイイ。




オークランドに出向いた頃、わたしは
そのどちらでもなかった。



余裕を見せるそぶりをしながら、

7、8割くらいが白人の
キウイと呼ばれるニュージーランド人の文化などを傍から観察していると

ボウルに盛られた果物コーナーの中でも


食い意地選手権の1軍が

まっさきに飛びついてあっというまに空になるボウルがあった。



明らかにニュージーランド人にそれがポピュラーなのが見てとれたが、
一体何なのか


わたしには全然見当がつかず、しかも全然美味しそうじゃなくて、


「ちょっと試しに食べてみるかな」

という気にすら

ならなかった、



例の、緑色でときどき黒ずんだ奇妙な物体



そう、

それこそが



まぎれもない

フィジョワであった。





夜食を脇にかかえて部屋に戻り
打ち覆いをめくったわたしは、

その物体を見てすぐ、


(あ!あのキウイの輩が好きなやつだ....)


と気づいた。



リクエストもしてないのに、
余分なものを入れやがって、チッ

とは思わなかった。




それは、

まさに、

校長室で、先輩たちに連れられて
机の下に隠れ


これまで一度も手にしたことのない

メンソール入りのタバコを一本



無言で手渡された

不良中学生の気分そのものであった。





深夜



わたしは腹の中の蠢(うご)めく未確認生体とともに

いつもの通り、腹が減って目を覚まし

そのタイミングで



真っ暗で、静まり返った小さな暖房のきいた個室で

胸をときめかせながらムクリ、身体を起こした。




もちろん、まずはじめに
口に入れるのは、

そのときまだ名前すら知らなかった、それである。




緑色で小ぶりの

ちょうど感触としては
日本のびわや、熟れる前のイチジクのような

適度にやわらかく、



大きさは

大きいものだと大き目のスイートポテト、
小さいものは、大き目のスイートポテトを二口かじった残りくらい

一体全体、

どうやって食べるのかもよくわからない。




皮を剥くのか、

そのままかじるのか、

種があるのかないのかも

見当もつかなかった。



フィジョワの食べ方の説明書は
残念ながら、入っていなかった。





わたしは

ボウルに斜めにカジュアルに差し込まれたナイフでそれを


おそるおそる、

半分に切った。



感覚が過敏になる10日間の間、
匂いや光にもとても敏感になるため

その部屋を夜薄暗く保つために

わたしはわざわざ豆電球を持ち込んでいた。




豆電球に照らされた、未知なる果物との対面



昼間でも、静寂が十分に保たれている恵まれた環境は 

深夜、その闇と静けさといったら

通常時では体験したことながないほど深く厳重に護られていた。




半分に切った中身を、

スプーンでほんの少しだけ掬って



空腹で感覚が極限にまで研ぎ澄まされた


深夜


その闇と静けさの中で




口に入れると、

それは、



これまでに食べたことがなく



どんな味かと聞かれると


未だに説明がつかない





爽やかな

パラダイスの味がした。




つづく


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