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フィジョワ、幻のフィジョワ②



フィジョワ、幻のフィジョワつづき
(書き始めたらフィジョワになかなかたどり着かないことに気づいた)


ヴィパッサナと呼ばれる10日間の瞑想センターが世界各国にあって、
どの国にいっても同じプログラムでスケジュールされている。

出産予定日まで約一ヶ月を切ったところで
まるっとしたそのお腹を抱えて、
ニュージーランドのそのオークランドの山奥にある瞑想センターに
わたしは向かおうとしていた。



臨月の妊婦が外国の山奥に何しにいくかって?
瞑想だよ。


全然はなしは変わるが、臨月のまるっとしたお腹は、意外にも硬い。
硬いというか、それは
実際に胎児を腹に抱えて10ヶ月くらい過ごしてみないと
弾力性のこととか、硬さのこととか、どのくらいデリケートだとか
全然ピンとこないと思うのだ。



少なくともわたしは身ごもって10ヶ月後に腹が丸くなって初めて、

意外にもそれは頑丈で図太く、結構図々しくて
気安いことを知って、へ〜と思った。



その腹が元々自分のもののはずなのに
未確認生物により侵食されてしばらくのうちは、

いつでもビクビクしながら
体の一部を他人に明け渡す作業は続く。



だんだん最後のほうに
それに慣れてきて、自分がひとりなのか2人なのか
まるで見当もつかなくなってきた頃

ついにそれが体の外に排出されたら最後、


瞑想になど二度といけないだろうから

わたしは最後のバケーションを楽しみに、静かな10日間を
自分に与えることにしたのだった。




アメリカや日本、台湾などのセンターで
同じようにじっと10日間座ることを

それまでの数年やってきて、


朝4時半から夜の9時半頃まで、ひたすら瞑想をするという
5分刻みのスケジュールは

どこにいっても一緒なのだが、

気候や風土やその土地に生えている植物はもちろん世界各国で違う。


そしてその、沈黙の中で座り続けるという休息(又の名を苦行)の
合間、

唯一人間らしく、普段の生活を思い出される時間

それが「食事」なのだ。




菜食・ベジタリアンで用意されているという共通点はあれども、
それぞれの国によって食事は全て異なっていた。

それが楽しみで、世界中のセンターに赴くのが夢だったくらい

わたしはその場所に行くのを
毎回楽しみにしていた。




センターの食事の規律は
初めての人にとってはまあまあ厳しい。


朝6時半からの朝食と、昼11時半からの昼食は
バイキング形式になっており、
果物や、穀物や野菜や豆などのバランスのいいメニューが並んで

好きなだけ食べることができる。

日本のセンターは辛気臭い醤油の匂いと味噌汁の繰り返しで質素だったが、
アメリカのセンターは毎日バラエティに富んだメニューに加えて、


ケーキとかクッキーなどの
デザートも供される。

そして夜は、初めてプログラムに参加した人だけ
果物のみ摂ることができる。


2回目以降参加したものは、夕食抜き。



これだけ書くと、意外に楽勝そうだと思われるかもしれないが、
10日間で究極まで身体の感覚を研ぎ澄ませていく過程において

「食事」こそがまさに、自分の身体の声を聴くための
格好の修行になるのである。


最初のうち慣れないうちは、現実世界で食べている分と
同じくらいを黙々と摂取しようとする。



そして地獄を見るところから、瞑想は始まるのだ。


しゃべることも禁止されている10日間は、
ほぼ静かに座ることだけが仕事なので

10日間の間起きている間じゅう座りつづけるわけだから、

唯一の楽しみは、食事やシャワーや、洗濯といった限られた
最低限の活動のみ。


身体的なカロリー消費もまた極限まで減る状態となる。

10日間他人とコミュニケーションを取らずに
一言も喋らないということを体験してみると、

たった些細な声を出すという行動にも
エネルギー消費が起こっていることが体感としてわかる。



さてその身体的にエネルギーをつかわない状態で、

腹いっぱいに食事をして
そして瞑想に戻ると、

これがまあ


眠いか、身体が重いか、痛いか、吐きそうになるか、

ふさわしい単語が見つからないが


とにかく「地獄」を見て
先ほど一瞬でも欲張って一回だけおかわりをしてしまったことを、

死ぬほど後悔するのである。




その数回の身体の反応を通して繰り返し後悔したのちに
まずは食事を減らすところから学んでゆくのだった。


わたしは何度も座っているので
最初から量の調節ができたが、おもしろいのは

初めて参加した人々の様子が1日、また1日経つごとに刻々と変化していくことである。


最初のうちはみんな山盛り皿に盛って
この時を待ってましたと言わんばかりにその瞬間を享受する。

これが数日も経てば、

じと〜っとした雰囲気のなかでフラフラになりながらも泣く泣く
皿の上の内容が質素になってくるのだ。


そこを抜けると、清々しいデトックスが始まり
食べなくても楽な状態になるのである。



それまでは、とことん空腹感と戦いながら、


自由に好きなだけ取れる、色とりどりに盛られた食事を
目の前にしながら自制し、

その欲求に打ち勝ち自分の内側の声を聴くという訓練。



二十歳そこそこの頃、過食嘔吐を繰り返していた時期があった私にとって


「食べる」ことに対する執着と苦しみは長らくひとしおだったが


この瞑想センターでの断食を経て、わたしは
「食」に対する執着からほぼ完全に解き放たれた。

それは祝福すべきことである。



それ以来どれだけ食べても太りすぎることはないし、
身体が喜ぶ量を摂取するということに関して

なにも考えなくてもできるようになった。





2回目以降参加したものは夕食抜きで、お茶のみなので
昼に食べたら次の日の朝までなにも口にすることはできない。

そう思うと、恐怖におののいて昼ごはんを夕食分まで食べたくなるのは
山々だが

食べなくても身体は楽でいられるのであるということを一度知ると、
「空腹」は特に自分を脅かすことはなくなる。




ところが、それは通常の状態であればのハナシである。

わたしは食べなくても、身体は楽でいられて
空腹に脅かされることはなかったが、


問題は、出っ張った腹のなかにいる、
おそらく食い意地の張っているだろうことはほぼ確認済みの、


その未確認生物の摂取する分の
カロリーについてだった。




続く


なつかしいなあ。あれからまる三年です

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