産み落とす、感情
必ずしもそうだとは限らないが、
「出産」を経験している人間にとって
そうでない人間よりも「感情の解放」という面においては
非常に抵抗なく入れるのでは?と思う。
最後の一線を超えられない手前で
もがいている方達を何人も見てきたが、
いまのところ「出産経験者」はいなかった。
○
そういえば「感情の解放」は出産にとてもよく似ている。
セラピストを始めてしばらくして、毎回大きな古い感情がごっそり抜ける様は
少なくとも「痛み」を伴うデトックスの極地であるとともに
(もちろん感情の種類によって全然苦しくない場合もある)
その瞬間の生々しさも実際の苦しさも
そのあとのなんとも言えない神聖さも
赤子が生まれいでる瞬間そのものだと
そんな風に感じるようになった。
唯一違うのは、
そのあと連れ添って育っていく存在が「新しい命」として物質的に横にいるか
「新しい自分」とともに生きて行くか、ということくらい。
○
わたしはわたしで、大きな感情の解放をしたのは
出産を経験したあとであった。
海外でひとり心細い中で大勢のひとに助けられて出産を経験し、
そして
「命」に関わる仕事がしたいと
まっすぐに、そう思った。
こんなにも感動的な尊い瞬間は、
ほかにはあるだろうかと確信したのである。
ひとの身体のなかから、ひとつの命が産み落とされるとき
そこには他のライフイベントにはない
死と隣り合わせの祝福と感動がある。
「死」に最も近い祝福と
「生」の悲壮はいつも表裏一体である。
それはいつでも
この世に生きている全ての人間が、
その貴い瞬間を経験してきて
この世に生まれてくることこそが奇跡、
という感覚をわたしに与えた。
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