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産み落とす、感情



必ずしもそうだとは限らないが、

「出産」を経験している人間にとって

そうでない人間よりも「感情の解放」という面においては
非常に抵抗なく入れるのでは?と思う。


最後の一線を超えられない手前で
もがいている方達を何人も見てきたが、

いまのところ「出産経験者」はいなかった。




そういえば「感情の解放」は出産にとてもよく似ている。

セラピストを始めてしばらくして、毎回大きな古い感情がごっそり抜ける様は

少なくとも「痛み」を伴うデトックスの極地であるとともに
(もちろん感情の種類によって全然苦しくない場合もある)
その瞬間の生々しさも実際の苦しさも

そのあとのなんとも言えない神聖さも

赤子が生まれいでる瞬間そのものだと

そんな風に感じるようになった。



唯一違うのは、

そのあと連れ添って育っていく存在が「新しい命」として物質的に横にいるか

「新しい自分」とともに生きて行くか、ということくらい。





わたしはわたしで、大きな感情の解放をしたのは
出産を経験したあとであった。


海外でひとり心細い中で大勢のひとに助けられて出産を経験し、

そして

「命」に関わる仕事がしたいと

まっすぐに、そう思った。




こんなにも感動的な尊い瞬間は、

ほかにはあるだろうかと確信したのである。




ひとの身体のなかから、ひとつの命が産み落とされるとき

そこには他のライフイベントにはない

死と隣り合わせの祝福と感動がある。




「死」に最も近い祝福と
「生」の悲壮はいつも表裏一体である。




それはいつでも

この世に生きている全ての人間が、
その貴い瞬間を経験してきて
この世に生まれてくることこそが奇跡、

という感覚をわたしに与えた。


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