見出し画像

フィジョワ、幻のフィジョワ④



フィジョワ、幻のフィジョワ①

フィジョワ、幻のフィジョワ②

フィジョワ、幻のフィジョワ③

続き



何かトラブルがあったときを除き、
瞑想センターでは口をきくことが一切禁止されているのだが

それとは別で、

1日のうちで1回だけ

瞑想に関することに限り、完全予約制で
短い時間、個室で尋ねることができる。



大人数でホールに座り瞑想をする一番前に、先生が座っている。
特に監視しているわけではなく、彼らもまた目を閉じてただ座っているだけである。

宗教とは関係ない場所なので、その先生が一体何者なのか
知る由も無い。


坊さんのようないでたちの人もいれば、普通にアメリカの片田舎に住んでいそうな
おばちゃんの時もあれば、
どんな基準で選ばれしものたちなのかはわからないが


とにかく彼らの放つエネルギーは尋常じゃ無いくらい穏やかであった。


「わたしも悟りの境地に達してあんな風になりたい!」と

胸をキュンキュンさせて憧れるには
わたしはまだ俗世に未練タラタラであった。


ああー、あそこに座るようになっちゃったら
大きい家に住みたいとか思っちゃいけないんだろうなあとか

ファーストクラスで日本に帰国するとか
二度と起こらなくなっちゃうんだろうなあ

とか

煩悩の塊のようなわたしはそう思いながら

いつも彼らの物静かな佇まいに癒されていた。



そして
それまでの参加のなかで、一度も
その先生への質問タイムを利用したことがなかったわたしだったが、

臨月というイレギュラーの参加、
思い悩んで空腹に耐えかね夕食を食べることにし、

問題は解決したかに思えたのに

今度は夜中に空腹で眠れないという事態に

とりあえず、試しに先生に相談することにした。




そのときの先生は、中年の白人の
綺麗な女性であった。

とても小さな暗がりの個室に入り

聖なる沈黙を破ってなにかを喋ることは

その場所ではむしろ、
そっちのほうが違和感があった。



今回の参加で
わたしはタブーを犯し続けるのである。

それはスリルに満ちており、
まさに

わたしがその数年後に主催することになるとは想像だにしていなかった
料理教室のテーマでもある

神聖な場所でちょっといたずらをする(校長室でタバコを吸うワル)
そのものであった。



部屋に入り一段高い場所に座っている先生の前に
あぐらをかいて座ったわたしは

静かに
起こっていることを

淡々と説明し

”どうしたらいいかわからなくて困っている”

という、相談ではなく

自分なりの見解を述べた。もちろん英語で。


凛として美しいその女性は
アジア人の丸い腹を抱えた妊婦に、

何かをアドバイスするわけでもなく
ただひとこと


「そう、あなたの中に答えは出ているみたいね」

と言った。



わたしは当時まだ
セラピストでもなんでもなかったが、

なんというか

その「質問タイム」はとても意味がないように見えて
そして深淵な意味を含んでいることだけはわかった。

わたしは特に、
なにかを訊く必要はなかったのだ。



静かに確認するような作業。

今の自分の在りかたの片鱗が見える。


そして同じことを

今わたしは誰かに言っているような気がする。




その夜から、
わたしは

特別待遇で夕食を食べるだけでは飽き足らず

果物とパンの乗った
余分な土産の皿を持って、部屋に帰るという

さらなるVIP待遇を許されることとなった。



夕食の時間に食堂に行くと、
昨日までと同じように、昼ごはんの残りが盛られた

私用のプレートが用意されている横に

もうひとつ、中くらいのボウルが置かれていた。


その上には、
紙ナプキンが掛けられて
中身が見えないようになっていて

それは


死人の顔に白い布がかかっているか
または、美容院のあのリラクゼーションシャンプーの時に
そっと謎の紙(なのかティッシュなのかタオルなのか布なのかは不明)

がかけられるか如く優しい

あの感じを連想させた。



食事を終え、

ぞろぞろと腹を空かせた人々が部屋に戻ったり

ポーチで夕方の空を眺めたり

センター内を歩く姿をかき分けて

わたしはその打ち覆い(死人の顔に乗っている布)が被せられた
ボウルを

堂々と、こっそり、傍に抱えて部屋に戻ったのである。



昼は、自分で好きな物を取って食べるため、
いらないものは取らないし
必要なものだけを必要な分量からだに入れることができる。

夜は最初から用意されているため、


「もうちょっと野菜を多く盛ってくれたらいいのに」
とか
「これは食べられない」

ということが起こる。



すべてを奉仕してもらい、与えられたことだけを
文句を言わずに受け取ることもまた

その場所で学ぶ

ひとつの大切な要素であった。


わたしは盛られた食事を残しては
悶々とした気持ちで過ごし、
それをスタッフに伝えるべきなのかというところで
また悶々とし、

ていねいに、行儀よく、
タブーを犯すという練習をしていた。


そこにルールは存在しない。


菜食の時期が長かったのもあって
常日頃食べることに関しては

ものすごくPicky (うるさい・こだわりが強い)な私であったが

その瞑想センターでの経験は
それを自分の思う通りに
すべきなのか、

それともあえて、何も言わずに食べるか、

または
パンを一枚ゴミ箱行きにすべきなのかを

真剣に、いたって真面目に、考察したのは
そのときが人生で初めてである。



1日か2日経って、

土産ボウルの中に入っていたパンが

どうしても1枚余分なので
減らしてほしいという旨をスタッフに伝えた。


ピーナツバターだかジャムが塗られていたので、
それを、1枚はピーナツバターで1枚はジャムがいい

などというたわけた細かいワガママもついでに

リクエストして、
わたしは満足した。



そしてその夜から

わたしがリクエストした通りの薄いパン2枚に

それぞれピーナツバターとジャムが塗られているのが入っていて
わたしは安心した。




すると、
そのパンの横に

見慣れた
バナナやオセアニア特有の味の濃い、
小ぶりのリンゴ、
いつものオレンジではなく

何か、

手のひらの半分くらいのサイズの

緑がかった色に



黒々しく痛んだような

奇妙で


これまでにみたことのない

物体が

そこに乗っているのに気づいた。


つづく


ここから先は

0字

Eat, Live and Love.

¥250 / 月 初月無料

<マガジン味付>ジャンク☆☆☆☆☆ 甘さ☆☆☆☆ 外国で暮らしたときにみつめてきた風景や、瞑想に参加したときの記録・海外出産のときに目に…

<初月無料>週に1,2回程度たべるもののはなしを更新。まとめて更新することがあります。不定期ですみません。 妊娠中のはなしや料理の作り方じ…

いつも購読・ご購入・サポートどうもありがとうございます!