IKEA
いつか、がいこくにすんでいたとき
とても寂しくなると
わたしはイケアに行った。
フランスで暮らした小さな古い、rue dupet のアパートには
イケアのポエングが置いてあって
わたしは窓際のその上に腰掛けて
毎日フランス語で「どうしたしまして」を
完璧なアッシュの音が発音できるまで
繰り返して喉を震わせた。
イケアは
世界のどこでもあった。
上海に引っ越して
その街の激しい混沌としたエネルギーのなかで
こころぼそくなったときに
わたしを慰めるのは
あのだだっ広くてどこにいても同じ匂いで
世界のどこで食べても同じ
スエーデンの庶民のこざっぱりした空気だった。
チープで、おもちゃがそのまま魔法で大きくなったみたいな家具も
洗練されきる直前の、
無骨だけどだいたいムダがなくて
ときどき結構なムダがあるデザインも
ただただ広い、
空間も
そこに来ることは私にとって
故郷に帰るような気がしていたのだ。
ニューヨークに移り住んでからもそれは同じで
わたしは月に一度
実家に戻って
猫の安否を確認するように
ブルックリンの端までサブウェイに乗っていくか
専用イケアバスに乗って
ニュージャージーの郊外まで行って
港に近づいてきて、青と黄色の建物が視界に入って来ると
毎日の悲しいことを
全て、
忘れられた。
食堂で、まずいレトルトのスープと
生のブロッコリーと不揃いのにんじんを
山盛り小さなボウルに盛って
いつも、窓際の端っこに座って
ニューヨークの家族づれとか
窓から見える、港の錆びれた風景と
黄色のヨウチエンバスを眺めて
自分を取り戻すのだ。
何を買うわけでもなく
イケアまで遠足に行って
「1、99ドルの朝ごはんを食べたよ」と
恋人に言うと
恋人は呆れた様子で
もっと美味しいもん食わしてやるのに、と言った。
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