未遂
やってきたことは、
意味のあることだったろうなと
そんな風に思う。
過去の自分を讃えるとかじゃなくて
自分のできることをして、
誰かが自分を必要としてくれるってことは
それだけで
きっと
そのときの自分には意味があったと。
では
誰からも
必要とされなくなったら
どうだろう?
自分には
生きている意味は
ないのだろうか。
例えば自分に子供がいなくて
もう
書くこともできなくなって
なにも、
できることが
なくなったとしたら
そうしたら
わたしには
生きている意味など
あるのだろうかと。
空気を吸って
酸素を消費しているだけで
それは罪なんじゃないかと
そんな風に
思っていた時期も
過去、とてもとても長かったような気がする。
今日久しぶりに、
ああ本当に
わたしは誰にも必要とされていなくて
自分は生きている意味など
ないのだろうと
そんな風に強く感じた。
それは
自分を傷つけたい衝動や、
消えてなくなりたいという
これまでのような激しい否定感ではなくて
なにか、もっと、
大事なことを含んでいる感じがした。
わたしは誰にも必要とされていないのだと
全身で悲しみを下から上に上げて行く間の自分の身体さえ、
それは
なんというか
可愛いく、愛おしいものだった。
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