
能登半島地震 再開できていないパチンコホールに寄ってみた
この記事は
応援プラン・法人プラン限定記事です。能登町・珠洲市・輪島市の、それぞれ再開できなかったホールを一つずつ訪ねました。再開できたホールはこちらをご覧ください。
シンザン能登店
再開したホールの回でお伝えした、パーラーダイヤ。

実は近くに、能登半島地震で閉店したホールがあります。
それがこちら。

近っ
ホールの名前はシンザン能登店。
ピンクのダイヤと黄色のシンザン。コントラストがいい感じ。

閉店のお知らせを見ると、6月15日から貯玉の清算をしていたみたい。発災から半年、経営再開を模索していたのかな。

店舗横へ回ると地震の影響が窺えます。

2階の壁が崩壊してる。



ダイヤのお客さんに話を聞いたところ、シンザンはあまり繁盛していなかったようです。4円20円はダイヤ、低玉はシンザンの棲み分けだったかもしれませんね。
ホール名の由来
〝シンザン〟の名前で引っ掛かってる人、いるでしょ。
そう、日本初の三冠馬・シンザン。
そのオーナーがパチンコホールを経営していたんです。

オーナーの名前は橋元さん。珠洲市の農家に生まれた兄弟は戦前、親族を頼って名古屋へ出ます。経歴からして日本人かな。
当初は居酒屋を手伝っていましたが、たまたま軍用機輸送の話が舞い込みました。トラックを買う資産の無い兄弟は、名古屋から各務原市まで牛を使って戦闘機を引っ張ったらしい。
大きな財産を得た兄弟は戦後、念願のトラックを買い運送会社を作りました。現在も橋元運輸として名古屋港に本拠を構えています。
戦後の復興期に馬主となり、上述の通り名馬・シンザンと出会います。皐月賞・ダービー・菊花賞・有馬記念に天皇賞秋も勝利し、5冠。
1965年に突如訪れた「昭和40年不況」で苦しんでいた橋元家は、シンザンの獲得賞金で助けられたのです。
その後、橋元家の運輸業は高度経済成長で発展。シンザンホールの経営も順調に推移し、競走馬においてもG1馬を誕生させます。
それが、かの大穴馬・ダイユウサク。

「これはびっくりダイユウサク!」
の迷実況が生まれた
14番人気からメジロマックイーンを差し切り有馬記念を制したダイユウサクだけでなく、菊花賞馬ハシハーミットも橋元家の所有馬です。
ダイユウサクの有馬記念は「勝てるわけがない」と、オーナーさん、競馬場に行ってなかったそうですよ。
シンザンホールのその後
2023年9月・震災4ヶ月前のストリートビューが残っていました。

一時期は愛知に5店舗を擁し、北海道苫小牧にまで店舗を構えていたシンザンホール。時代の流れで少しずつ閉店し、最後に残っていたのが、故郷・珠洲市近くの能登店でした。

2022年1月閉店
画像引用・輪島たいむす
ちなみに、場外舟券売場のボートピア名古屋も橋元一族の所有です。ボートピア向かいにシンザンホール名港店(一号店?)と本社がありました。
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見附ドーム
シンザンから珠洲道路をさらに西進すると、こんな看板を発見。

こんなん行くに決まってる。
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