【無料】保存版・ガイアの歴史
この記事は
【緊急】
株式会社ガイアが民事再生法の適用を申請しました。倒産です。ガイアに関する情報を集める人が多いと思いますので、このnote記事を11/3まで無料開放します。
負債総額はガイア本体で850億円、子会社を含めると1133億円とあります。損失飛ばしの噂もありましたね。これについては本記事の下の方(2010年代後半)で触れていますのでご参照ください。
報道関係者・一般ファンの方へ
本記事を読むと分かりますが、ガイアは極めて特殊な経営をしてきました。パチンコホール企業の多くは健全経営であり、信用不安を拡大させるような情報発信は慎んでいただきますようお願い申し上げます。
パチンコ業界にまつわるよくある疑念(脱税・遠隔・送金・不正・そもそも違法賭博)などについては、「パチンコ業界の真実」という記事で正しい回答を試みていますので、ご参照ください。
おことわり
創業は1984年ではなく1975年
ガイアについて解説するパチンコ系YouTubeは、どこも「1984年に一号店」と言ってるけど、ウソです。
おそらくWikipediaの記述をそのまま使ったんでしょうね・・・。
僕も動画シナリオ作成ではwikiを参照しがちので、気持ちは分かる。でも、
一号店は1984年ではなく1975年(昭和50年)です。
良原一行オーナー本人が「昭和50年に検見川へ1号店を出した」と語っているので、Wikipediaやそれを参照してる動画群はすべて間違い。
当時のホール名は花園会館だったはず。
総武線各駅停車の新検見川駅前で創業。ガイアの店舗は既に無く、面影といえば〝良原歯科医院〟でしょうか。良原家は3兄弟で、ガイアを成長させた長男が一行氏。次男は哲夫氏。三男は武夫氏で、この三男・武夫氏が歯科医でした。
1990年代・千葉最大の店舗数に
1984年にパチンコ事業を分離して永豊企業有限会社を設立します。店舗名は〝さくらんぼ〟だったかな。場所は千葉県花見川区作新台で、今もガイアネクスト花見川店として営業しています。出玉は渋い。
永豊企業は歯科医として信用を得ていたためか、地元金融機関から融資を受け、バブルの波に乗り、店舗網を急拡大させます。当時の店舗名は、さくらんぼ、マドンナ、ジパング、花かんざし、パーラー宮殿、ハンズなど、てんてんバラバラ。
設置台数は200台から300台で、床は木。マイク放送とタバコの匂いに包まれた、よくある田舎の郊外店でした。
当時の千葉県は、ともえ・オメガ(現HAPS)・大野屋・永豊企業あたりが店舗数を増やしていました。稼働はぶっちぎりでパールショップともえ。
2000年代前半・全国大手へ大躍進
まさに栄光の時代です。メーカーや業者のガイア担当者は機械売れまくりでウハウハだったんじゃないかな。
東京進出あたりから出店を加速。2003年には本社を千葉の片田舎から東京・日本橋へ移転しています。その快進撃はテレビでも取り上げられました。
当時、大量出店の陣頭指揮を執ったのは営業部長の渡辺直行氏です。道頓堀店のグランドオープンでテレビに登場したときはわずか31歳。すごい。
ただ、大阪のホールからは「あの家賃でやっていけるはずない」と言われました。実際、道頓堀店は苦戦どころではない苦戦を強いられ、わずか1年半で撤退。競合店の出玉攻勢に負けた面もありますけど、初代北斗の拳ブームの起きた4号機時代なのに瞬殺ですから、まあ、惨敗だ。
地元のベニス産業(GOKU)が居抜きで入るものの、これまた1年半で閉店となりました。結局、立地がアカンかったんだと思う。パチンコパチスロを求めて行く場所じゃありません。道頓堀って外国人だらけだもん。
大阪のガイアは最盛期に20店舗を展開していました。現在も残っているのはわずか3店舗。自転車操業的に出店攻勢を掛けていたこともあり、大阪の失敗はガイアの財務を大きく傷めます。
当時のガイアは手形取引を行っており、機械は「納品翌月集金・翌々月から6本払い(6分割払い)」を基本としていました。実質8ヶ月ですから、結構長いですね。
2004年頃には「翌々月集金・翌々々月から6本」になり、2005年には「6本ではなく10本へ」となります。翌々々からの10本では、1年以上の支払期間になりますから、いくらなんでも長すぎると拒否したメーカーも多かったそうです。
2000年代後半・魔術のような資金調達
支払いに窮していたはずのガイアですが、謎の資金力を見せ、出店攻勢を継続します
前述のYouTubeでは、大量出店を「ホスピタリティコンテストのおかげ」と言ってますけど、んなわけあるかい。
このチャンネル、パチンコに詳しくないでしょ。当時のガイアは〝魔術〟と呼べるほど異質な資金調達と出店を行います。
怒濤の出店をメインバンクからの融資のみでまかなえるはずもなく、
この2つよ。
ドイツ証券は本当に驚いた。30店舗から得られるキャッシュを担保に事業そのものを証券化し、ドイツ証券が投資家へ売りさばく形。そんなことできるんだと度肝を抜かれました。
ただこの2005年。4号機撤去は2007年ですから、客がぶっ飛ぶ前の、パチンコ業界が最後の輝きを放つ、最大の売上を記録したタイミング。ピークの頂点で売上や利益を試算してる。これ以上ない一瞬のタイミングで資金をかき集めた。
これを〝魔術〟と言わずしてなんと言おうか。
2008年のアドアーズもおかしかった。そもそも集客力に乏しい8店舗をゲーセンへ業態転換し、さらに失敗。そんなクソ店舗をアドアーズは破格の33億円で購入します。アドアーズの業績は低迷中なのに、貴重なキャッシュで買った。33億円もの現ナマを手にしたガイアはウハウハです。
真相は藪の中。それでもガイアは危機を乗り越え、支払いも手形から現金払い(小切手?)に変更したと聞きます。
いずれにせよガイアの出店攻勢を支えたのは、ホスピタリティコンテストではなく、手元資金の強化・流動性の確保にあったこと疑いありません。
2010年代前半・相次ぐ不祥事と凋落
当座の現金を得て復活したかに見えたガイアですけど、2010年代に入り暗雲が垂れ込めます。垂れ込めるどこじゃないな、転落と言っていい。
いやぁ・・・
業界内で最も騒ぎとなったのは、やはり2011年の社長逮捕です。この社長こそ、上述の動画にある若き営業本部長・渡辺直行氏。彼は専務の吉見守翁氏(アサヒビールから招かれて経営の最前線に立っていた)から薫陶を受け、38歳で社長へ上り詰めました。
なのにまさかの覚醒剤。ゲイだったことまで発覚し、ホール大手のスキャンダルとして業界内を駆け巡りました。
豊富な資金を得て2011年にメガガイアブランドを立ち上げたものの、直後の東日本大震災で大きなダメージを喰らいます。所得隠しによる追徴課税もあり、手練手管で得た虎の子の現預金を急速に減らしました。
資金を有効活用できぬ間に時間だけが過ぎる。銀行融資は凍り付き、社長は逮捕。信用不安が高まる中で所得隠し発覚。そしてついに、700億円の償還(投資家への支払い)が来てしまった。まさに踏んだり蹴ったりです。
2010年代後半・内部告発と家宅捜索
これも地獄だなぁ・・・。
個人的に気になったのは2015年です。良原一行オーナーと、懐刀の荒井社長が会社を去った点。特に、一行氏は謎すぎる。
良原一行氏の去った良原家と荒井社長は関係を悪化させます。役員報酬を減額するしないで揉めたと聞きました。
これ以降、ガイアのトップに立ったのは元歯科医の良原武夫氏。もちろんパチンコホール経営なんてできませんから、管理本部長の大山努氏がガイアを取り仕切るようになりました。
結果、同社の役員構成は歪な形になります。三男の良原武夫氏は代表取締役会長。次男の良原哲夫氏が代表取締役副会長。そして、二人の息子がそれぞれ代表権のない社長に就いています。
さらに、大山努氏も、本部長でありながら代表取締役なんです。
代表取締役が3人もいて、社長も2人いる。本部長が代表取締役なのに、社長はただの取締役。ワケわかんない。少なくとも「ふつう」じゃないです。
2018年の内部告発文書も強烈でした。文書によると、2016年の経常利益は18億円。そのほとんどは、中古機売買で得た数字上のトリックなのだそうで。
値の付かないゴミ台を高値で子会社へ売却し、その利益をガイア本体の利益として計上していたらしい。
ゴミ台を買った子会社は当然赤字になりますけど、発覚するのは決算発表時だから当面バレない。その間、ガイア本体は黒字となるため銀行からの融資を得やすい。
これが本当なら不正会計「損失飛ばし」です。
ガイアはこれを否定。法的措置を取ると強烈に反応しました。
しかし翌年、10の子会社が一斉に債務超過となったようで、「本当にガイアの損失を子会社へ飛ばしてたんだ・・・・・・」と感じたものです。
2018年頃は新ブランド・メガガイアを半ば強引に展開しており、内部体制は大丈夫なのかと首をかしげていました。
ちなみに、ガイアの会計検査を担当する監査法人はアヴァンティア。2018年に「監査品質が低い」として金融庁から業務改善命令を受けています。こういったところからも、噂を生みやすい状況でした。
2020年代・コロナと終末
コロナは、瀕死のガイアに痛恨のダメージを与えました。
まあ、ガイアだけじゃないな。多くのホールを奈落の底へ叩き落とします。
ただ、捨てる神あれば拾う神あり。政府は日本経済と雇用を守るべく、銀行に対し「コロナで苦境の会社へ融資を強化せよ」との方針で挑みます。ガイアが三井住友銀行から60億円の追加融資を得られたのは、コロナゆえ、だったのかもしれません。
ガイアはこの60億円で敗戦処理を進めます。しかし、悪いことは重なるもので、秋元司議員によるIR汚職へ関与したとして本社を家宅捜索されてしまいます・・・・・・。
満身創痍のガイアには、もはや店舗を売却する以外に打つ手は残されていませんでした。創業から30年で200号店(店舗数ではない。最大店舗数は2015年5月時点の174店舗か)を突破し、業界3位にのし上がったガイアは、続く20年でその栄光を手放すことになったのです(現在84店舗)。
なぜガイアは急成長できたか
なぜガイアはここまで急激に店舗網を拡大できたのか。メインバンクの三井住友銀行の支えと、手練手管の資金調達によるところが大きい。でもそれは2000年代後半の話であり、根本を支えたのはガイアの店舗運営方針でした。
ご存知の通り、ガイアって、ほんと渋いじゃん。鬼のように出さない。同社はかつて、利益を上げた店長ほど評価される人事体系でした。
客数なんてどうでもいい。抜くだけ抜く。異動も多いため、ガラガラになった店舗の責任は次の店長へ押し付ければいい。ひたすら抜いてさっさと次の店舗へ・・・という、焼き畑農業カルチャーだった。
当然稼働はぶっ飛ぶんですけど、当時のパチンコ業界は元気でした。ファンも売上も右肩上がりで増え続けていた。爆裂CRに爆裂4号機と、新規出店&ぶっこ抜きでも経営は回ったんです。むしろそれこそが最適解だった。
メガガイアの出玉重視・稼働重視の戦略を、せめて震災前に始めていれば、間に合ったかもしれない・・・。
僕は学生の頃に永豊企業時代の店舗で打ちまくったので、なんとか出玉優良店として復活してほしいなと思います。
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