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みんな「神さま」。なんで「推しの子」で「星の子」と言われたのか?

この記事を書いた人 #えおうお日記

宇宙のどこを見渡しても、「数」など存在しない。否、花弁の一枚一枚、星ぼしの一つ一つは数えられるではないか、と言える。だが、花弁の「一枚」と「一枚」は異なるし、星も然り。それらを「同じもの」と人が認識したところから「数える」が始まる。数は、人が世界を認識して初めて誕生したのだ。人が世界を知ろうとしてきた軌跡には、必ず、数による抽象化という財産が残されていると言ってもいい。

たとえば、πの文字列に、ボルヘス「バベルの図書館」をイメージする試みがスゴい。πの小数展開の中に出現する数字列を文字に置き換えるのだ。例えば、00を空白に置き換え、01をaに、02をbに置き換えるように進めていく。アルファベットが尽きたらまた空白から始め、最後は99もひとつのアルファベットに置き換える。この置換をくり返すことにより、πの小数展開を収めた図書館は、ボルヘスの描いた、あらゆる書を収めたバベルの図書館に変貌する。小数展開は尽きないし、その組み合わせは無限といっていいのだから、そこには、あらゆる表現がくり返されてゆく。円周率を見つけてしまったが故に見いだした永劫回帰やね。

ラテン語「w」は数字6を表す。666はwww(world wide web)
インターネットってことですね。※以上は、タシュナーのコラムから私なりに理解したことです。インターネットは世界をつなぐと同時に、世界を、えーっと、破壊する力でもありますよね。どちらから見るか、どのように見るか。いちぶは全部であり、全部はいちぶ、みたいなことを感じる。

「時間の概念」を頭の中で組み立て得るためには、「変化と持続」という両者を互いに関係づける必要がある。この関係を作り出すのは「リズム」であり、それは「古代の思想家たち」によって構想された永遠に回帰する「イメージから具現化」されている。したがって、リズムとは何を意味しているのかをはっきりさせることによって、はじめて時間について何にか意味あることを語れるようになる。人類はその当初から「太陽、月、星の循環」その中に「そうしたリズムを感知できる」と信じてここまできたのだ。

というと、リズムを感じるのが神なら、太陽も月も星も、みんな星。神やん。私たちも、時間と共に生きているから、星と言えます。太陽と月と星の間にあるリズムという不思議なものが、私(星)たちの時間感覚を決定している?太陽と月と星を眺め、太陽と月と星が奏でるリズムを共に感じることが、「時間という生き物」と共に、活き活きと生きることが、神さまの子どもとして言われることに繋がるのかな。

このまま発信中毒になれば、スマートフォンが「神さま」、テレビが「神さま」、時計が「神さま」になっちゃうよ。
人の意識が認識を作る。気をつけなければ。

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