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鶴巻温泉 人は楽ちんなこところに住みたがる
さて、箕輪駅の跡をゆったりと下ると笠窪という集落に降りてきます。
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箕輪駅跡を東に向かうと善波峠付近から流れる善波川に行き当たり広びろとした田んぼに行き当たります。鶴巻のこんな近くに豊かな土地があったかとはっとさせられます。
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遠く岡崎や糟屋の田園も見渡せます。馬で走ったら爽快だったろうな。江戸時代に整備された大山の道標が見えてきます。
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奈良時代以前の道をなぞっているようです。西に進むと今の246国道に合流します。その奥に古い串橋という集落があったようです。田んぼの中の島のような集落。
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その中にあるのが、善波太郎とその子孫とされる墓です。この人の墓と称するところは近くの日蓮宗の寺にもあるそうですが、墓石は鎌倉時代の後期があるここの方が古いようです。その奥に雷電神社というのがあります。伝では善波峠にある三島神社の末社なんだそうですが、神社が土地を宅地開発したとき、縄文遺跡が出てきました。
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掘ってみると縄文時代から近世までの生活の跡がでてきたそうです。あまりにきっちりと重層的に残っているので公園として整備されています。元々山の入口で縄文人の狩りにぴったりな土地であることと田んぼに最適な湿地がそばにあったことから栄えたみたいです。
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善波太郎のお墓と称するものは善波峠近くもあってそこには三島神社といい館跡とされています。たぶん、善波峠を監視する砦でもあったのでしょう。そこは、江戸時代ぐらいまでは善波さんという方が宮司をしていたようです。奥様と子供の伝説があるそうです。たぶん、まあ、東海道が廃れたとき、聖地である大山に行くぐらいの需要しかなくなったのでしょう。
鶴巻の町は思った以上に古くて、病院の役割をしていた温泉はありがたく、そして豊かな田んぼと山の幸があるがゆえに交通の要所だったんだと思います。人は楽ちんなところに住みたがるということなんかな。