ひげ剃った。
おそらく、10年ぶりではないか。
ひげを剃ろうと決意した理由は、
⑴コロナウィルス撲滅を願う
⑵ 社運を賭けたプレゼンテーションに挑む
ためである。
理由を説明したい。
まず、⑴についてなのだが、令和三年一月二四日日曜日、JR総武線に乗車している際、非常に遺憾な思いをしたからだ。
その日はたしか、午前七時ごろに家を出たはずだ。天気は悪く、まるでそれに比例するかの如く、私の気分は悪かった。
浅草橋駅の西口に出る必要があるため、一番後ろの車両に乗車。
非常事態宣言が出されているため、また日曜日の朝ということも合間って、その電車は人気が少なかった。
ナチュラ・ボーン・ソーシャルディスタンサーなので、極力、人気が少ない場所を選ぶのが、私の癖だ。
市ヶ谷駅から飯田橋駅の外濠を眺めることを、JR総武線に乗車する時に必ず行う。その際は席を立ち、出口窓に近づき、まるで飛行機の窓からぼんやりした気持ちで、ただただその瞬間を味わうが如く、その外濠を眺める。
ふと、その電車に乗車した際、座席の中央を陣取り、マスクをせず、まるでその車両は自分のものが如く、あの冷静なタモリさんが驚くレベルの我が物顔に加え、ドウェイン・ジョンソン級のドヤ顔で、惣菜パン (おそらくサンドイッチの類ではあるまいか)を頬張り、しまいにはそれを飲み物(おそらくコーヒーではあるまいか)で胃に ---便所の大便 (お食事中の方、失礼いたしました)を流すかの如く--- 流し込んでいた。
怒るのは嫌いなたちだが、さすがに、ボディーブローをかまして、喉元と眉間に一発ずつ、幽遊白書の浦飯幽助も驚くほどの、右ストレートをお見舞いして差し上げようと考えた。
しかしながら、先述に述べたナチュラ・ボーン・ソーシャルディスタンサーなので、それは断固としていたしません。
「消費税増税、断固として反対します!」
渋谷駅のハチ公口で声を高らかにして演説をするかの如く、それは断固としていたしませんので、このどうしようもない私の投稿をご一読くださっている方々にご安心いただきたい所存です。
これ以上、私の気分を悪くするのは、精神衛生上、非常に悪いと塾考した末、次の車両に移動することにした。
「これが一番、正しい決断だ。」
そう自分自身に何度も言い聞かせて、例の外濠を眺めたが、いつもより幾分か切ない気持ちになったのは何故であろうか。
ひげを生やしたことのない人々に理解してほしいのだが、この時期、つまり冬にひげ(正確には口ひげ)を生やすと、それの中央部分が湿るのだ。
これは恐らく、鼻息のやさしい温かさが、その部分に天使のように舞い降りて、○○のように厳しい寒さと絶妙な加減で混ざり合うことにより、その現象が起きるのであろう。
以上を理解したうえで、さらにマスクをするとなると、それも湿る。つまり、「湿る × 2」だ。
緊急事態宣言が、令和三年一月八日金曜日に実施されてから、およそ3週間が経過した。
日経新聞の朝刊とNHKラジオニュースを毎朝(土日を除く)確認する限り、感染者数が減少している傾向にあるらしい。
私は個人事業主なので、毎月の定期的な収入がない。
これに関して、私と同じ人々は、これから私の意見がまるでテレパシーのように伝わるに違いない。
今こそ、全員がまるでアベンジャーズの如く一致団結してマスクを着用し、感染者数をさらに減少させ、ワクチンを摂取し、憎きコロナウィルスをこの世の中から退治しようではないか。
ひげ剃った。
これは周囲の人々に対する私の意思表示だ。
つまり、演説だ。
私がこの世の中で最も尊敬している人物、今は亡きスティーブ・ジョブズが二〇〇五年にスタンフォード大学の卒業式にて解き放ったマグマのようなアツさと、オバマ元大統領が二〇〇八年のアメリカ大統領選挙の勝利して、伝説の “Yes, we can!” と声高らかに言い放った自信を持っているかの如く、私は意思表示をしているのだ。
したがって、私はウケを狙っているわけでもなく、失恋して心機一転を試みようとしているわけでもない。
「なめるなよ、コロナ。この俺がついに本気を出したらこうなるんだぜ。」
という、肉眼では見えぬウィルスに対するメッセージである。
私の文章をここまで読んでくれた人々は、花畑に咲き誇る菜の花のような優しい心の持ち主であるは間違いないと私は確信しているので、まるで子供のように純粋な好奇心で、私がマスクを外した顔を見たいとは思わないし、言わないであろう。
むしろトイレの大便を流すかの如く、鮮やかに、そして力強く「流す」ことを期待している。
次に⑵についてなのだが、この文章を朝の六時から九時までと、別の朝の三時から六時まで、二日間に渡って書いたので、私の精魂は尽き果てたので、割愛したい。
最後に、昨日、およそ一年ぶりに美容室に行き、整髪をしてくれたヘアーデザイナーの杉本さんに謝辞を述べたい。
彼女は、⑴と⑵の話を最後まで聞いてくれて、この話を書くのか書かないのか、まるで女性に愛を伝えようか伝えないのかと迷っていた私の背中を爽やかにそっと押してくれたのである。
有り難うございました。