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成果は認めてもらうと嬉しいのだけど、そんなことは関係なく幸福でいられたら最強だと思う。

先日、金沢で泊まった宿について書いた上の記事にこんなお祝いバナーをいただきました。先週たくさんスキを集めたよ!と。

アプリを開いたて表示されるポップアップ。わーい


こうやって誰かに読んでもらって、好意的に反応してもらっているとわかると、当たり前だけど嬉しいものです。まとめのバナーも。

一方で、子供が生まれた時にすごく思ったことがあって。それは、この子たちは決して「成果を上げると愛情がもらえる」と思わせないようにしよう、ということ。だから小さい頃からお絵描きでも積み木でもなんでも、「良くできたね」とか「えらいね」みたいな評価的な言葉掛けはできるだけ少なくして「どこを頑張ったの?教えて」と言ったように、自己評価に意識を向けさせるように関わってきた。

なんでそんなことを気にするかっていうと、いわゆる「エリート」や「成功者」と呼ばれるような人でさえ、実は親や周囲からの承認に飢えて飢えて飢えまくって、その結果としてものすごい努力家になって心を削っている、みたいな構図をよく見かけるから。資本主義の頂点にいるあの人たちは、自己受容と言う観点ではものすごく劣等生だったりして、それゆえたゆまなき努力の連続が可能となっているケースも多々ある。

なので、夜自分が寝る前に、必ず子供の耳元で念仏の如く唱えるのもワカメの日課だ。
「生まれてきてくれてありがとう」
「一緒にいてくれてありがとう」
「生きてるだけでいいからね」

という、親子関係の基礎にある愛を伝えてから自分も眠る。大事なメッセージを毎晩届けて悪いはずがないよね、と思っていた。

ところが、である。

最近「学校の宿題やったの?」と聞く私に対して小学校高学年の息子はニヤリと微笑みながら、「ママ、僕って生きてるだけでいいんだよね?」返してくるようになってしまった!!

この場合は、「生きてるだけでいい訳ないでしょ!さっさとやらんかオラ!!」という会話が続く。息子もそんなことで済まされないのはわかっていて、ヘラヘラ楽しそうにしている。

しかも、YouTubeを見すぎるのを私が嫌うのもわかっているだけに、何か新しい学びの話を子供達がしたあとに「それ、どこで習ったの?」と聞くと、これまたまたニヤリとして「大事なことは全部YouTubeに教わってる」と言い出す。

私の「生きているだけでいいからね」という愛情表現は全くもって嘘ではないのだけど、その日に必要な行動の促しとは必ずしも合致しないパラレルワールドがあるので、その両方の世界を同時に(楽しく)生きていこうぜって最近はメッセージを切り替えている。

あまりにも拗らせた大人をいっぱい見かけるのであえてお伝えしたいのだけど、もし、あなたが他者からの承認をあまり必要としないのだったら、それだけで実はご両親は大きな贈り物をしてくれたんだ、と思ってもいいかもしれない。




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