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従うより不服従

1920年代初頭、3M社の研究者ディック・ドリューは同社の主力商品だった紙やすりから、新しい種類のテープに関心を移した。2トンの塗装作業のために車体の一部をマスキングするのに使っていたテープを、自動車労働者たちの一部が罵倒しているのを聞いて(テープがしばしば金属から塗装引き離してしまうと言う)ひらめいたのだった。

新しい研究は、いつもの仕事(研磨剤を上にのり付けする方法の改善)とそんなに違うわけじゃなかった。でも違うには違ったので、同社の社長ウィリアム・マクナイトはいい加減にして仕事に戻れと告げた。

ドリューは口先では承知したものの、自動車産業向けの改善版マスキングテープ開発をそのまま続けた。マクナイトは研究室にやってきて、ドリューが何をしているか見届けると、何も言わなかった。でも、新しいテープを売り出せるほど製造するのに必要な製紙機械の購入にお金を出すのは断った。ドリューはひるむことなく、規則をほとんど無視した。100ドルまでの購入なら自分で決済できたので、99ドルの購入をたくさん行って、新しい機械を調達したのだった。やがてこの手口を彼が白状したところ、マクナイトは大いに感激して、新しい社内方針を打ち出した。

「適正な人物が適正なプロジェクトについていて、彼らが解決策を見つけようと有無を言わさず没頭しているのなら、やらせておくこと。かれらのイニシアチブを容認して信頼すること」

1925年までに、ドリューの仕事は感圧式の粘着剤を使った初のマスキングテープをもたらした。その後まもなく、彼は透明のセロハンテープを生み出した。これはスコッチテープと言う商品名で知られ、これにより3M社の事業は紙やすりや研磨剤の地元メーカーから、極めて多様化した企業へと変身した。同社は今でも予想外の研究を送り受け入れ、おかげで偶然のひらめきでポストイットが生まれた。(もともと超強力接着剤を生み出そうとしていたのが失敗し、それが結果的に再利用可能の貼り付け式メモになった)

成功する人々は、疑問を述べ、直感を信じ、ルールが邪魔なときにはルールに従うのを拒否する人々だ。

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Enzo Suzuki
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