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「100分de名著」はいいぞ

「100分de名著」について

「100分de名著」とは、名著として知られる書籍を毎月一作品ずつ取り上げ、合計100分かけて紹介するNHKの番組です。月曜日の22時25分〜50分の枠で放送されています。


また、番組で解説される内容は、毎月ムック本として出版がなされています。

私はこのシリーズのファンで、隙あらばTwitterでひっそり布教を試みていたのですが、Twitterでは文字数の都合もありますのでnoteを通じても布教をしてみたいと思います。


「100分de名著」は何がうれしいか?

とても分かりやすい

「100分de名著」は、タイトルこそ知っていれど読む機会が得られなかった本や、取っ付きにくくて挫折した本、専門分野では名高いものの一般的な知名度は低い本などを、とても分かりやすく解説してくれます。

「分かりやすいのでうれしい」などと身も蓋もない言い方をしてしまいましたが、分かりやすいというのは本当に素晴らしいことなのです。文章でも動画でも漫画でも、何かを解説しようと試みたことがある人なら、「伝わるように伝える」ことにどれほど高い技術が求められるかを痛感した経験が一度や二度はあることでしょう。

「100分de名著」は、分かりやすさのために様々な工夫が凝らされています。
まず、取り上げる作品が変わるたびに、テーマに沿った専門家をゲスト講師として迎えています。(ムック本もゲストの方が執筆しています。) 番組では、講師の方と伊集院光さん、安倍みちこさんの三名による対話をベースに解説が進められます。これに加え、俳優による本文の朗読やアニメーションでの再現といったVTRも用いられ、解説が補強されているのです。

安倍みちこさんと伊集院光さんの存在は、まさに絶妙なキャスティングです。アナウンサーである安倍みちこさんの司会の呼吸感や、裏方の編集の技術により、番組はとても小気味よく進行していきます。伊集院光さんは、視聴者がなんとなく納得した気になって見過ごしてしまいそうな点を鋭く質問して深堀りしたり、ちょっと難しい説明をいい具合に噛み砕いたりしてくれて、ムック本を一人で読むだけでは得られない多角的な視点を提供してくれます。

最近ではYouTubeなどにも分かりやすい動画が多数存在しますが、ここまで多彩なプロフェッショナルが集結し、分かりやすさを追求できるのは、NHK制作の強みゆえだと感じます。


単なる要約番組ではない

「100分de名著」は、その名前から「名著を100分で要約する番組」と捉えられがちです。「要約」と聞けば、忙しい現代人がタイムパフォーマンスの効率化を追い求める姿を思い浮かべる方も多いでしょう。限られた時間で効率的に情報を得たいというニーズから、映画本来のテンポや空気感を無視して倍速再生したり、盛り上がりのない部分を飛ばして要所要所だけを観たり、原著をじっくり味わうことなくYouTubeなどの要約動画で済ませたり——こういった傾向は、たびたび疑問視されています。そのため、「100分de名著」も原著に触れずに理解した気になることを助長するのではないか、と懸念する声があるかもしれません。しかし、私は「100分de名著」は単なる要約番組ではないと考えています。

たとえば、2022年4月のテーマはドイツの哲学者ハイデガーの『存在と時間』という本でした。『存在と時間』は、20世紀最大の哲学書のひとつと言われていて、大変難解なことでも有名です。

ではここで、「100分de名著 存在と時間」第四回のあらすじを見てみましょう。

1933年、ハイデガーはフライブルグ大学の学長に就任。その就任演説でナチスドイツへの支持を表明する。なぜ「存在と時間」で人間の本来性を追求したハイデガーがナチスに加担してしまったのか? (中略) 第四回は、ナチスに加担してしまったハイデガーには何が足りなかったかを考究し、次世代の哲学者たちが考え抜いた「存在と時間」のもつ限界を乗り越える方法を模索する。

番組HPより

『存在と時間』は20世紀最大の哲学書のひとつと称される一方、著者のハイデガーは出版後にナチスに協力していたことが知られています。「100分de名著」が単なる要約番組であれば、ハイデガーの親ナチスのくだりは省略して『存在と時間』の内容の解説に徹していたはずです。現に、書籍を紹介するにあたってそういったアプローチをとる媒体は多数あります。しかし、「100分de名著」はそういったことをしない。

ハイデガーがなぜナチズムと結びついてしまったのか、その原因を『存在と時間』から見出せるのか。のちの哲学者が『存在と時間』をどう批評したか。そして、ハイデガーの親ナチスという事実を踏まえても、なぜ『存在と時間』には読む価値があるのか。番組ではこういった深遠なところまで解説してくれます。

これを鑑みるに、「100分de名著」が紹介しているのは、名著の中身の単なる”情報”に留まりません。
名著が名著たる所以は、時代を超えて私たちの価値観がいかに変遷しようとも、なお現代の私たちの人生に大きな影響を及ぼす普遍的な訴求力を有しているからです。「100分de名著」は、この名著が持つメッセージ性を特に重視しており、本の内容だけでなく、その内容が私たちにいかなる影響をもたらし得るかを必ず紹介している印象があります。そのおかげで、私は名著のメッセージを原著から得たいというモチベーションを得ることも多々あります。「100分de名著」で私たちが学べるのは、名著の味わい方、すなわち名著の情報を教養へと昇華するための糸口なのだと思います。


教養をもたらしてくれる

先ほど私は、「100分de名著」は、情報を教養に昇華するためのパイプラインを提示しているのだと述べました。ここで”教養”という言葉を少し掘り下げてみます。

世の中には、教養と謳いつつ、その実態は「単に知っている人が少ないだけの重箱の隅をつついた知識」であったり「知らない人に対して優位性を示すための道具」に過ぎない場合が多々あります。
しかし私は、教養とは、自分がどう生きたいか、どう在りたいかの足がかりになるものだと考えています。

教養とは,個人が社会とかかわり,経験を積み,体系的な知識や知恵を獲得する過程で身に付ける,ものの見方,考え方,価値観の総体ということができる。

「新しい時代における教養教育の在り方について」


知識や知恵があっても、その情報をそのまま流用できる場面は案外少ないものです。最終的には、自分が持っている知識や知恵を土台にして、自分は結局どうしたいのかを結論づけていく必要があります。その際に、自分の考えの輪郭をはっきりと形づくり、思考を洗練させる一助となるもの——それが教養だと思うのです。

「100分de名著」で紹介される名著の考え方の中には、人生を豊かにしてくれるものもあれば、容易に賛同できないものもあるでしょう。しかし、自分の意思に取り入れることがなくても、そうした考え方を持つ他者がいると知ることには価値がある。様々な考え方と出会えることこそが「100分de名著」の醍醐味なのです。

私は「100分de名著」をなるべく毎月読むようにしていますが、取り上げられる作品の中には、正直なところまったく興味を持てないものも多々あります。しかし、惰性で読み進めると意外と面白い内容であることが分かり、自分が普段かけている色眼鏡では到底出会えないような考えに触れることができます。

タイパを求めることは確かに悪い側面もあります。ただ、「100分de名著」は100分に濃縮するために様々な人の努力が注がれており、おかげで私たちは100分で新しい考えに出会ったり、自分が漠然と思っていることを言語化できたりといった成功体験を毎月積むことができます。それは、とても素敵なことだと思うのです。



ムック本はとてもおすすめです

世の中には、活字は好きだけど動画は集中力が持たない方や、月曜日の夜に時間が取れない方も少なからずいらっしゃると思います。(私も動画をじっと観るのは得意ではありません。)

そんな方にはぜひムック本のテキストをおすすめします。

冒頭で述べたとおり、「100分de名著」は、取り上げる作品が変わるたびに、ゲストの専門家が執筆したムック本が発売されます。このテキストはとても平易な日本語で書かれていて、ボリュームも120ページ程度です。電子書籍にも対応しています!

収録と執筆どちらが先なのかは分からないのですが、ムック本は番組放送前に発売され、番組の内容はこれに沿ったものとなります。ムック本だけでも大変おすすめです。私は通勤時間のお供としてありがたく読んでいます。寝る前の読書にでもいかがでしょうか。

ちなみにこの記事を書いている時点で、次回(2024年10月)のテーマは福岡伸一さんが講師をつとめる『ドリトル先生航海記』となっています。興味があればぜひお手に取ってみてください。


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