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とある高校生のメモ

201X年 ◼️月◼️日
化学の新研究を昨日買ったので、分子量のところを読んでいたら、ふと昔のことを思い出した。
幼稚園の帰り道、父親に「えんぴつを使うと芯の先が丸くなっていくのはなぜか?」みたいなことを尋ねたことがあるのだが、父親は「パパがこっそり食べてるからだよ」と答え、私は長らくそれが真実だと思っていたのだ。
今思えばあんなのでたらめで、鉛筆を使うと黒いところが短くなるのは、黒鉛の粒子が紙にうつるからだ。しかし、父親が深夜こっそりと子どもの筆箱を開き、鉛筆の芯の先をサトゥルヌスみたいにむさぼっている姿はあまりにも自然に想像できるため、正直なところ疑う余地がなかった。
こんな風に、よく考えたら絶対おかしいのに正しいと受け入れたまま放置していることが、まだまだたくさんあるのだと思う。本当に恐ろしい話でしかない。私の脳内はまったく整合性が取れていなくて矛盾ばかりだ。


201X年◼️月◼️日
今日の昼休み、XXに「パンはパンでも食べられないパンってな〜んだ? ってあるやん。あれの別解はなんだと思う?」と聞かれた。すると、遊びに来ていた◼️組のYYが手を挙げた。彼はおそらくラインのプロフィールからして軍国主義者なのだが、その回答は「B級戦犯」で、やっぱり政治信念がしっかりしている人間の発想は一味違うなと思った。私はうまい答えが思いつかなかったので、XXに想定解は何だったのかを聞いたら「レーズンパンかな。嫌いだから」と言われた。そんな個人的な回答もアリなのかと思った。これは、なぞなぞには一般性のある回答をしなくちゃいけないと思い込んでいた私の至らないところだ。


201X年◼️月◼️日
(ネットサーフィンで見かけた某陰謀論についてXXと会話した、という文章が書かれている。壮絶な自然現象の元凶が人間というのはいくらなんでもショボすぎるよな、という結論になっている。)


201X年◼️月◼️日
今日は模試の結果が帰ってきた。いつも英語の点数が最悪ゆえに、担任の先生が出席番号順にテスト結果を返却すると、私のときだけ渋い顔をして首をかしげるのが軽くトラウマになっている。私の後ろに並んでいる人たちや、前列の席に座っている人たちが「こいつはひどい点数を取ったのだな」と察することができるので本当につらい。でも悪いのは英語を全然勉強していない自分だ。たまに自分が老衰で死ぬ瞬間をイメージすると、想像の中の私は、走馬灯の最後の最後であの先生の渋い顔を想起してしまい、他の楽しいことを思い出そうとするものの結局間に合わずに意識を手放す。それはすごく嫌だなあと思う。今回もやっぱり渋い顔で結果を返されたが、なんと国語の校内順位が1位で、全国偏差値82だった! 英語の全国偏差値は29だった。偏差値29って本当に取れるものなんだな。
今日記録しておきたいのは、点数に一喜一憂してしまう自分の器の小ささについてだ。放課後、誰が一番長く飛ぶ紙飛行機を作れるかの勝負が始まったのだが、ZZが模試の結果を紙飛行機の材料にしていたのだ。しかも、その学年順位が3位なのを私は見逃さなかった。私なんて、いかに英語の点数を隠すかしか考えていなかったのに。そして、あわよくば国語の点数を威張り散らかしたかった。 自分の矮小さを突きつけられたようで本当に恥ずかしい。私もいつか、十分な点数を取った上で模試の結果なんかさっさと失念して、用紙を紙飛行機の材料にできるくらいの人間になりたい。


201X年◼️月◼️日
ZZと、将来どういうことをしたいかという話題になった。私は最近やっと、漠然と理学部に行きたいなあと思い始めたばかりだ。これは、人生で初めて会った研究者が益川先生で、益川先生に研究のおもしろさを説いてもらった影響が大きい、という旨を話した。
ZZは、(とある社会問題に取り組みたい)という旨を話していた。私は昔テレビで(某)上彰に吹き込まれた社会問題しか認識していないし、それに対して「世の中は嫌なことがたくさんあるなあ」と感じるだけで終わりだ。しっかりビジョンを持っているZZはすごい。彼が夢を叶えて有名にでもなったら、彼が高校時代から立派だったことを喧伝して回ろうと思う。私も漠然と世の役に立ちたいとは思うけど、(文字が汚すぎて読めない)と心配している。ここで当然のように「自分はいつか世の中の役に立つ人間である」という前提になるのが自分の傲慢なところだ。でも以前、益川先生のそばにいた京大生に「大学に入る前に、勉強以外でやっておいた方がいいことはあるか」と聞いたら「自意識を肥大化させることですかね」と言われたから、私はむしろもっと尊大な精神を養うべきなのかもしれない。こんなこと書いていたら埒が明かないのでやめておく。だいたい、まいにちこんなとりとめのない文章に時間を費やすくらいなら英語の勉強をした方がいい。

次のページからは数学のノートになっている。
ノートの最後のページには、故・益川先生の直筆サインが書かれていた。


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