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「あなたは○○だよね」と言われた心境

○○系。
○○タイプ。
○○キャラ。

物事をカテゴライズする分類の数は無限にある。

例えば私は、「田舎育ち」「会社員」「日本人」「内向的」等。

物事を分類する事で、人は無数の事象を整理する。
それにより、目の前で起きている事をより素早く理解しようと努める。

子どもの時は、分類がうまく出来ない。

例えば、りんごジュースとオレンジジュースが同じ「清涼飲料水」の仲間に入る事を認識するには、少し訓練や経験を要する。

子どもでなくても、新しい環境に入ると人は分類に時間を要する事になる。
東京に来たばかりの私は、20歳近くであったが、当時「アキバ系」とか「シブヤ系」、「パリピ」「意識高い系」など、分からない分類法に戸惑っていた。

人は分類する事で、理解しようとする。
理解する事で安心を得ようとしている。

歳を重ね、経験を積むと、瞬時に分類棚から引っ張ってきて、「あ、このタイプか」とまとめる事が出来る様になる。
一見新しい出来事に、瞬時に対応出来る。

先日、ある議論になり、「(えんゆうさんは)こういう思考タイプですね」と言われた事があった。
その時の私は率直には抵抗感を感じた。

○○系と言われても、内実、個人個人微妙に違う事が多い。
例えば、同じ甘党でも、ケーキがより好きなタイプと、クッキーが1番好きなタイプがいたり、微妙に差異がある。
同じカテゴライズの中に、また更に細かい分類がある事が多い。そして、当人にとって、その細かい分類が大事だったりする。

その人にタイプ分けされた時、私は、「確かにそういう分類になるけど、少し違う…」という気持ちになった。
その後何とか説明を尽くし、その差異を分かってもらおうと努力したが、相手は腑に落ちなかったようだ。
その時は、なんだか、分かっているようで分かってなくて、それなのに分かっていると思われている所に抵抗を感じたのだと思う。いや、抵抗というよりは、寂しいような、悲しいという気持ちの方が正確かもしれない。

反抗期の頃、大人に決めつけられるのが嫌だった時期があった人は多いのではないか。
「あなたはどうせ○○なんだから」とか言われると、妙に腹立たしくなった経験。
あれは、「分かってもらいたいのに分かってもらえない悲しさ」の現れなのかもしれないなと思った。

同じ共通点を見つけ、分類し、一括りにする。
これは、生きる上では大事なのだけど、大事な事を見落としたり、相手を傷つける事になり得るのかもしれない。
分類は気をつけて行った方がいいのかも、と自分の今までを振り返って反省した。

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