共同生活について考える
えんゆうです。
石原さとみさんが結婚しましたね。憧れの女優さんなので、ほっこりしました。
結婚となると、やはり一緒の家に住む事のだろうか。石原さとみさんと住めるなんてなんて羨ましい。。。
誰かと一緒に住むって、ワクワクする。ひとり暮らしは寂しい時があるけども、誰かと住むと賑やかになる。
また、アイデアが膨らんだり、一緒だからこそできる事ができたり。相談したり、できない部分を補い合ったりもできる。
誰かと住むと、素敵な事が増えていきますね。
ただ、一方で共同生活には、当然大変な事もあると思う。
私自身は、ひとり暮らし以外に、「友人(外国籍)との同居」、「半同棲」、「同棲」、「シェアハウス」と様々なパターンを経験してきました。
そこで、自身の整理も含めて、「血の繋がっていない誰かとの生活を送る」という事について感じたことを、ちょこっと文章にしてみました。
◇共同生活には、必要な事がある
血縁の家族と住んだり、ひとり暮らしするのとは、異なる意識が必要だと感じる。
私の周りに、「どうしても誰かと一緒に住む事ができない」人が複数いた。途中から嫌になって、別な場所へ引っ越すということを延々繰り返してしまう人。
でも、普段は特に人間性に難があったり、コミュニケーションが不得意というわけではなく、むしろ「コミュ力高っ」みたいな人の方が多かった。
相手との相性もあると思う。どうしても合わない人はいる。
ただ、元々仲が良くて共同生活をスタートした場合が多く、話を聞いていると何か他にも理由がありそうだな、とぼんやりいつも愚痴を聞いていました。
◇足りなかったのは、「尊敬」−「距離感」−「思いやり」
かなり月並みですが、本当にこれらが大事だと思います。
愚痴を聞いていると、相手への非難ばかり出てきます(愚痴なので、そりゃそうですね)。
でもそもそも、同じ居住空間にいる人に対して、尊敬より非難の気持ちが優っていたら、まともに生活できるだろうか。
私ならストレスで死んでしまう。一緒にいるだけで蕁麻疹が出る。
なので、相手に対して非難の気持ちに変わった瞬間に、自分で自分の気持ちを振り返らなくてはならない。
もちろん、非難の気持ちを覚えたのは、相手にも非がある可能性がある。
だから、どちらか一方ではなくて、お互いの思いやりが必要だ。
特に共同生活が長くなり、お互いの距離感が近くなると、馴れ合いになり、配慮が少なくなる事が多い。
そうなると一気に距離感がなくなり、相手の領域の事も我が物顔で踏み入れるようになってしまう。
同棲、結婚でのマンネリズムってそういう要素も含んでいると思う。
相手が自分とは違う個である以上、自分とは異なるものとしての配慮は何年経っても必要になる。
「長く住んだから」とか、「仲が良いから」とかは関係ない。
一緒に住む以上、上下関係を作ったり、優劣をつけてしまうと絶対にいずれうまくいかなくなる。
対等な関係を維持し、自分だけでなく相手への配慮を保ち続ける事。
どちらかが頑張りすぎても立ち行かなくなる。
そう考えると、共同生活とは、自分一人で成り立つものではなく、お互いに微妙なバランス調整を見ながら日々支えて行く生活であり、
そこそこの集中力と忍耐力、相手との心の対話とかも必要となる、実は結構難易度の高い事なんじゃないかな、て思ったりする。
そこの所の覚悟ができないまま、「何とかなるっしょ」精神で始めると、大事な人を失う可能性がある。。。案外そういうものだと思ったりした。
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