「椅子とりゲーム」な世の中
小学生の頃、「椅子とりゲーム」が大の苦手だった。
人数より少ない椅子を取り合って、ぶつかったり、知略を巡らすというこのゲームは、基本がのんびりの自分には過激なゲームだった。
途中で椅子を取り合うのが嫌になり、「どうぞ」と譲ってしまうタイプだ。
わざとらしくない譲り方を考え出すくらいだ。
その性質は今もそれ程変わっていない。
「競争」と聞くと、一気にやる気がなくなり、途中退場する。
せめぎ合う、とか、しのぎを削り合う、とか、打ち倒すというのが、どうも息苦しく思えてしまって、ふわーとその場を立ち去ってしまう。
負けるのが怖い。というのもあるのかもしれない。
嫌われるのが怖いという事もあるのかも。人間だもの。
ただ、1番には、「争わないと生き場所を確保できない」というその“ルール”に抵抗があると言ってもいいのかもしれない。
今より昔は、「〇〇がしたいなら、〇〇しないといけない」というルールが多すぎたように感じる。
芸能活動をするには、芸能事務所に入るのが一般的だった。
大学なんかもそうかもしれない。大学に行かないと「いけない」というような言い方が良くされていた。
私も小さい人間だから、そういう流れに抵抗はありつつ、受け入れるしかなかった。
でも、今は少しルールが緩和されたり、見直されてきているのかと思う。
芸能人は、テレビ・映画以外にも生きる場所を見つけた。
多様な働き方ができるようになった。
大学至上主義、みたいな風潮も風化してきている。
決められていたはずの「椅子」の数は、発想を変えれば、実は無限に用意されているという事にみんな気付き始めた。
私はだから、今の時代が好きだと感じている。
隣の人と「椅子とり」をしなくても、好きに生きられる。
考え方次第で、好きな人と、好きな事に囲まれながら、好きな時間を生きられる。
面白いね。
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