かっこいい大人になりたい

子どもの頃は、毎日かっこいい大人に憧れた。

「かっこいい」てなんだろ。色々モデルはあったけど、結論いつまでも目が澄んでて、自分の意見を持って生きている人間だ。

大人になるにつれて、色々な事がリアルになっていく。現実と対峙していかなくてはならなくなる。出る杭がうたれる日本では、何かを突き通すという事は、誰かに叩かれるという事であり、その姿勢を保つのはなかなか大変だと分かる。

そもそも生きていくという事はそれだけで大変だし、それだけですごい事だ、ということを身に染みて感じている。親父、おかんすげえな、と思っている。

子どもの頃、大嫌いだった時代劇の悪代官は、長い物に巻かれ、甘い汁を吸う嫌な奴で、かっこいいとは真反対だった。しかし、今になって思うと、きっと彼も生きるのに必死だったんだな、と分かる。

あそこまで極端では無いにせよ、世の大人の多くが悪代官要素を持っているのではないか?
彼の柔軟性は生きるのを楽にするのに必要な事ではあるのだ。

逆に、憧れだったヒーロー達は、自分の信念を貫く為にあらゆるものを犠牲にしてきたんだなと思う。周りの期待を一身に背負い、一個人が持つには重過ぎる責任に耐えながら、大事な青年期を全て捧げ生きている。

今となっては私は絶対あんな生活はしたくないな、と思う。周りからの期待が重い、重過ぎる。

私は普通がいい。

ただ、やっぱりかっこいい大人になりたいな、と今でも思う。
自分がかっこ悪いと思う大人にはなりたくない。

これは、私のこだわりだと思う。生きていく上で必須では無い。別に、楽しく生きれればそれでも良いのかもしれない。
ただ、人間としての尊厳という考えを借りるなら、ただ生きるのではなく、善く生きたい。
善くありたい。誰かの基準ではなく、私の基準で。

どう生きるのか。
どう死ぬのか。

たまに考えてしまう。

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