怯えからの解放
自分の地位が危ぶまれると、人は防衛に入る。
その席を守ろうとする。
反射的な反応だ。
そうしてしまう根本は、危機意識だ。
特に会社の様な組織であれば、自分の地位が無くなれば、飛ばされたり、辞めさせられる危険性もある。
『自分の今の安全を維持する為には、その地位を守らなくてはならない』と感じるわけだ。
日常生活でもそうだろう。
マウント、とは位置の取り合い。或いは今の立ち位置の明確化だ。
自分は相手よりも上だ。だから逆らうな。という暗黙の了承を強いている。
いじめの原因も恐らくは怯えの裏返しだ。怯えに耐えられなくなり攻撃に出た形だろう。いじめる立場を守れば、いじめられる事はない。逆に言えば、いじめられるのが誰よりも怖いのだ。
人は自分を守る為に、あれこれ動いている。
リスクを取れる人はそう多くない。
私も怯えている。
組織にいる以上、いつ不利益を被るか分からない。
恐らく長く同じ組織にいればいる程、そこから離れるのが恐ろしくなる。
若い頃は怖いもの知らずだった人でも、年配になるとその地位にしがみつくのはその為だ。
周りの目を気にしてしまうのも、社会からはぐれたくないからだ。
慎重な人程、事前にあらゆる方法で危険を回避するよう動くだろう。
それが人間が生き抜く為に与えられた能力ー 防衛本能だ。
私は、日に日に色濃くなるこの怯えに対し、嫌な気持ちになっている。
守りに入れば身動きが取りにくい。
家族が出来れば、守るものが増え、一層守りに入っていくだろう。
志を見失いそうになる。
しかし、怯えからは何も生まれない。
私は剣道を通し、基本的に心で負ければ、試合でも負ける、と実感している。
腰がひけた瞬間、勝ちの目は無くなるのだ。
だから、気合いで押し切る場面が必要になる。
怯えは誰にでもある。防衛本能とはつまり、自分を守る為に重要な能力であり、それ自体に非はない。
大事な事は、その怯えを直視しつつ、果敢な行動が取れるかどうかだ。
無謀とはまた異なる。
自分を守ろうとする本能を認めつつ、本質的な行動を取る事。
怯えに身を任せるのでなく、真に大切な一手を打つ事。
怯えを消すのではない。見ないふりをするのでもない。
怯えを受け入れつつ、自分が真に守らないといけないものを守りつつ、攻めの一歩を歩める事。
これがより良く生きる上で大切な力なのだと思う。