輪郭とシルエット

こんちゃ

焰葉だよ🌿


🔥🐉🔥


昨日は、長崎に行ったよ〜(また長崎かよ)


友達が長崎で用事があって、車で行く予定だったので長崎やったら乗せたんで、との事でまたまた長崎行きました〜

いいとこいっぱいあるでね、何回行っても飽きんね〜


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レモンステーキ、初めて食べたんだけどすごい美味しいね〜



今日はラボでした。

まだまだ目標からは程遠いです。明日もがんばります。掴んだら速いタイプだと思っているので、それまでの辛抱です。


最近、言葉について考えることが多いのですが、


僕らは生まれてから、言語に経験や意味を当てはめて言葉を覚えていきます。「パパ」、「ママ」から始まり、最近は「サジタール」(三次元の画像撮影や切断における、矢状断面のこと)という言葉を覚えました。


この方法には、大きな欠点があると思います。それは、思考が普遍的になってしまうことです。

あまりいいものが浮かんでこなかったので少し尖った例えになりますが、経験A(有機溶剤を嗅ぐこと)について言葉α(いい香り)が当てはまったとします。いい香りがするものはたいてい体にいいものですから(そもそも体にいいものをいい匂いと感じるように進化が進むのは当然でありますから)、言葉α(いい香り)の近くには、言葉β(身体によい)があります。すると、無意識にも経験A(有機溶剤を嗅ぐこと)と、言葉β(身体によい)は結びつきが強くなります。(詳しくは「ヘブ則」や「長期LTP」で検索)

上に挙げたものは少し極端な例ですが、こんな風に、言葉には連想があって、連想のおかげで経験には推論を含む印象がつきます。

そして、その連想は社会的な経験から作られるものですから、多くの人間にとって共有されているものです。

つまり、ある入力があったとき、それに言葉(さっきの例えで言うといい匂い)というラベルが付与され、その言葉は社会全体で共有された連想のようなものによって印象付けられるから、多くの人にとって経験に対しての印象が似たものになり得る、ということが起こります。

結論だけ聴くと当然のようにも感じますが、当然のことでありながらも僕たちはそれに気づかずに日々を過ごしています。


読んでくださっているみなさんの脳は今、もやもやっとしていることと思います。言語化がへたくそでごめんなさい。


もう少し我慢して読み進めていただけると嬉しいです。


ある経験や印象を言葉で人に伝える時のことを考えてみてください。

ある経験や印象があったとき、脳内ではぼやぼやッとしていて、「〇〇な感じ」として表現されていると思います。輪郭はなく、やわらかいシルエットです。

それを言語化する時(つまり、脳内のぼやっとした表現を言葉にするとき)、輪郭がバチッと決まります。口から発せられた言葉は一通りであって、曖昧さを持たない確固たるものです。

その輪郭を、聞き手が聞き手なりの視点から受け取ってだいたいのシルエットとして脳内のぼやぼやっとした感じに表現しなおします。この、表現のしなおしは、個々人に少しずつ差はあれどほとんど同じ関数になるかと思います。

この、輪郭をシルエットとして脳内で表現しなおす時に、先ほど言った連想が大きな役割を果たします。


ここまで長々と、何が言いたかったかというと、言語化は、一つの硬い輪郭として脳内に表現されたシルエットの情報をそぎ落とします。そして、そのそぎ落とされた部分は、聞き手に届く時に社会一般に広く浸透した連想によって補われ、再びシルエットとして表現されます。そのため、どんな言葉も、発せられた時に比べて、届いた後の方がより普遍的で味のしないものになり、個性が失われている、ということです。


そしてここからがそれを経ての僕の願望です。

考える時に、脳内の「シルエット」同士で考えを発展させていけたらうれしいということです。

人から人に情報が伝わるときの話を先程はしましたが、脳内で小人(ホムンクルス)同士が会話する時にも、程度はどうであれ同じ現象が起きて、考えがより普遍的に、味のしないものになっていると思うんです。

だから、脳内のシルエット同士、わかりやすい表現だと脳内言語(焰葉語みたいなもの)で会話して、連想という常識にとらわれないユニークな発想、アウトプットができればうれしいです。

できればうれしいというか、なんというか、出来るor出来ないの二値ではなくもっとアナログ的なもので、ゴールはないと思います。できると思っていても、もっとできている状態はあるってことです。



P.S.

すごくわかりにくい文章だったと思います!

わかりにくくてごめんね!!

でも、ぜひ咀嚼してみてください!!!




今日も読んでいただきありがとうございました!
一日お疲れ様でした〜

それでは

焰葉🌿

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