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カフーツ代表 米田の話したい気分 vo.1

EURO2020と全英テニスが終わった。それぞれの試合の内容はさておき、とにかく観客の騒ぎぶりに驚かされた。
会場のWembleyとWimbledonにはそれぞれ6万人、1万5千人がパックされ、ほぼノーマルな状態での騒ぎぶりだった。いつまでもコロナ禍で自粛を続けていくわけにはいかない状況で、テスト運営の側面があるという。

これからどのように変化していくのだろう、悪化することはあっても、コロナ禍自体が改善することがないことは明らかだ。それでも、別のいいことのために、リスクをとる必要があるかは誰かがなすべき判断だ。
どこかの国では、人命とオリンピックのどちらが大事なんですか、みたいな議論をする人がいるけど、そんな問いかけに騙されてはいけないと僕は思う。そんな比較できないことを比較させて、人を惑わせるのが、政治家の仕事ではないはずだ。いや、それをいつもわかり易いキャッチフレーズにしようと企てるメディアが問題なのかもしれない。

仕事とは関係ないことを書くのは、会社の役にも立たないかと思うけど、スタッフが読んでくれるそうなので、書くことにします。

そういう僕はオリンピック開催を後押ししているわけではなく、今回の開催に関してはがっかりしている(どこにもリーダーシップがないことへの落胆と言った方がいいかも)。
観客を入れられない、海外から人を呼べない、とわかった時点で潔くあきらめればよかった。アスリートのためには、それに代替する競技会を各々で別途考えればいいだけのことだった。なぜそれを過去に倣い、集中開催(場所や時期に関して)する必要があったのか、本当に誰か教えてほしい。 

コロナ禍での開催の話とは別に、そもそも国と国が競い合うというオリンピックの概念が今の時代に合っているとは、思えないのだ。

これはオリンピックに限らず、サッカーのワールドカップや昨日終わったEURO2020も同じだ。自分自身にとっては、前回のロシアワールドカップ、日本が初めて出場したフランスワールドカップ、とても楽しかったし、現地への旅行も最高の思い出のひとつだし、また行きたいとも思う。そんな僕でも、現在世界で起こっていること、特に差別の問題などを考えると、そうした国同士の戦いから得られるいいことは殆どないように感じる。

EURO2020の決勝戦でPKを外した3人のイングランドの黒人選手が、とてつもない中傷や脅迫を受けているらしい。ヨーロッパの中でも比較的リベラルな人が多いと思われていた英国でさえこんなありさまだ。今日の英国の新聞では、この風潮について首相が非難していることがトップになっている。普段はサッカーを観ない人たちの一部が、こんな機会を利用して間違った愛国心からこうした卑劣な行動に出ているのだと思う。

僕は海外のサッカー、特にプレミアリーグをとてもよく観ている。そこで岡崎選手のような日本人が出ていたら、熱烈に応援もするけど、ほかに応援するチームや選手もいる。そこでは、異なる国籍、異なる人種のプレイヤーが一つの目的のためにいっしょに戦うという前提があって、僕はそこに魅了されている。
もちろんそこでも、よそ者を排除するという醜い差別があるだろうけど、それは国籍や人種に根差したものではなく、個々人(差別する側、される側)の資質によるものだと思っているので、それは個々人を教育することで改善すると思いたい。

でも 国と国って話になると厄介だ。大坂なおみやゴルフの笹生優花が日本国籍でオリンピック出場するかどうか、ってそもそも差別じゃないだろうか。税金を払っているか、選挙権があるか、居住地、言語、見た目、パスポート? なにが基準でそんな話をしていいか、わからなくないですか。 

オリンピックはこうした問題から目をそらさせるだけで、もっと広い視野で世界を考えようというメッセージを発信する場所からはますます遠くなっているように感じている。さてさてオリンピック開催期間中は都会から離れ、テレビのない場所でゆっくりしますか。

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