大学受験不合格記(その1)
今年もまた、桜の舞う季節が訪れました。
私が講師をしている塾では大学受験の結果が出揃い始め、
歓喜の淡い声、暗く沈んだ声、決意に満ちた赤く燃える声…
さまざまな声が耳に入ってきます。
この記事は思ったようにいかなかった受験生。これからもう一年頑張ろうと思っている受験生。浪人を控え不安に満ちている受験生に向けて、
一度大学受験に失敗し、一年の自宅浪人を経験した私が当時のことを綴ってみようかと思います。
老害が何か話しているという程度に、ご覧くだされば。
どうぞごゆるりと。
私の大学受験不合格記
「まぁ無いよな…」
昼の12時、ネット上での合格発表。無機質に並ぶ数字の中に自分の番号が無かった時の感情、勉強時間を記録するアプリで同様の大学を受験した知り合いが合格していることを知った時の複雑な感情は今でもはっきりと覚えています。
1年間も頑張れなかったこともあり、十二分に予期していた結果だったにも関わらず、残酷に目の前に突きつけられた現実に呆然としていました。
第一志望大学の合格発表より2日後、頼みの綱の国立後期日程、センターリサーチ(当時は共テではなくセンター試験)でAよりのB判定
合格するだろうと口では言いつつも、ロクに対策をしていない小論文試験に打ちのめされ、この年2度目の不合格。
進学先が無い。
浪人するにしても自宅浪人。「自宅浪人」で検索してみると、「成功率0%」「宅浪失敗談」の文字。
「茫然自失」という言葉ほど当時の自分にぴったりな言葉はありませんでした。ましてや一年後の自分がどうなっているかなど見当もつきませんでした。
それから約3週間後、4月からの話に続きます。
4月 自衛隊へ
言語化することのできないモヤモヤした感情を抱えつつ、親に助言され、自衛隊で働くことになりました。
最初の2週間は覚えることが多く、夜な夜な勉強(練習)することで息をつく間も無いような毎日を過ごしていました。
精神的に辛い面がなかったといえば嘘になりますが、それまでの人生にないほど充実した日々で同期も良いやつしかいない、このままここで頑張るのも悪くないな、という思いが湧いてきていました。
先に「夜な夜な勉強していた」と書きましたが、私は小さい頃から非常に容量が悪い人間で、人並みの努力では周りと同じことができませんでした。
当然、できないことで上司には指導をいただくことになります。いくら努力をしても「できなければ意味がない」という現実世界をここで初めて認識する事になります。
努力を評価してくれる優しい世界からの訣別
「結果が全て」
私が中高生の頃によく父親が口にしていた言葉ですが、
当時の私はこの言葉が大嫌いでした。
過程も評価されるべきである。俺は頑張った過程こそ大事だと思う。
これが当時の私の意見です。
これが全否定されたわけです。
いわば、高校までの一種メルヘンランドとも言えるような世界から飛び出してみたら、自分は現実世界の厳しさを知らず、井の中に甘んじていた事に気づくことになったのです。
ここで、初めて気づきました。自分が大学受験に失敗したのは、得点を取るための学習が足りなかったからだと。
机に向かっている間、俺はそのための努力をしていたのだろうか。ぼーっとしている無駄な時間、非効率に過ごした無駄な時間が大半ではなかったろうか。
辿り着いた結論は拍子抜けするくらいシンプルなもので、
「俺は去年毎日10時間机に向かったが、何一つ努力をしていない。故に落ちた」
それから退学を決心し、自宅浪人を決意するまで10秒とかかりませんでした。
5月 自宅浪人開始
1ヶ月ぶりに帰ってきた実家の自分の部屋を、私は9割の不安と1割の希望で満たす事になりました。
第一志望大学の得点開示が返ってきて合格最低点まで120点足りなかったことが明らかになり、「まあそうだよな」と思いつつ不安が9割5分に。
身分は無職。
どん底からのスタートで不安はありつつも、何にも縛られないという、どこかスッキリした感情とともに再スタートです。
(その2に続く)