競馬はじめて1年。
こんばんは。エンと申します。
「競馬を見始めてから1年たったら、この1年のことを文章にして残そう」とずっと前から思っていたのですが、いつのまにか1年と2か月ほど経過してしまいました。本当に時の流れは早いものです。
今でこそTwitterでも競馬のことばかり呟いておりますが、2019年7月29日までは、競馬のけの字も知らないただのサラリーマンでした。
どの程度かというと、それまで競馬場に行ったことは、1度だけ。当時気になっていた女の子と、デートで。
それ以外で競馬に触れたのは、幼い頃にたまたまテレビでやっていた競馬中継を見て、馬の名前を覚えようとしたことが1度だけありました。その時覚えた馬の名前は、「ドリームジャーニー」と「ロックドゥカンブ」です。最近になってその2頭が揃い踏みしたレースを探してみたところ、2007年の菊花賞でした。(当時15歳くらい)
今日は、そんな私が競馬好きなサラリーマンになったキッカケと、この1年の競馬に関する振り返りをしていきたいと思います。
【第一章】競馬との出会い~ディープの死~
2019年7月30日、日本が誇る偉大なる名馬、ディープインパクトが死んだ。
その訃報は、競馬に全く関心のない私の耳にも届いた。
競馬に全く興味のなかった私でも、さすがにディープインパクトの名は知っており、「えっ!ディープインパクト死んじゃったのかあ」と少し衝撃を受けた。
衝撃を受けたといっても、その時の私はディープインパクトがいつ頃活躍した馬なのか、どれほど輝かしい成績を残したのか、全く知らなかった。ただただ名前を知っている生物の死に驚いたというだけだった。
その報せを聞いた日、興味本位で、YouTubeでディープインパクトのレースを見てみた。これがいけなかった。ものの数分で、私はディープインパクトの虜になってしまった。動画を見ていく中で、凱旋門賞へ挑戦していたことを知った。ここで3着に敗れたこと、さらには禁止薬物の検出により、のちに失格となったこと。それでも引退レースの有馬記念でその実力を証明してみせたこと。
そのストーリーを一晩のうちに知った私は、人気漫画を一気読みしたかのような気分になり、気がつけばディープのことをずっと調べていた。
ちょうどその頃、夏の小倉競馬が開催されていた。しかもディープが死んだその週末に、ディープの子が出走するという。そして私はその数か月前から、転勤によって小倉に住み始めたばかりだった。
「こんな奇跡があるのか」と私は神様に感謝しながら、その週末は小倉競馬場に足を運んだ(無論、ディープの子が数え切れないほどいることなど当時は知る由もなかった)。
当日は、とても暑い日だった。
車で現地に向かったが、駐車場は満車。遠くのパーキングになんとか駐車し、汗だくになりながら競馬場を目指して一人歩いた。
到着後、ディープインパクトの献花台に追悼と祈りを捧げ、
満を持して子・アイスバブルの馬単を購入し、
無事敗北した。(馬単1点とは、なかなか度胸ある馬券だ…)
この日から、エンの競馬人生がスタートしたのだった。
(疲れたので続きは気が向いたら書きます)
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