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「お母さん」は役割で、名前ではありません

 今年25歳の長男から、初めてお年玉をもらった。

「絶対に自分のことに遣ってね」と言いつつ、私達夫婦と次男に手渡してくれたのは、シンプルを絵に描いたようなぽち袋。
 弟にはあげるのかなとは思っていたが、私達にも用意してくれるなんて思ってもいなかった。

「ありがとう」と受け取って裏を見ると「K」と私の名前が書いてある。
「お母さん」ではなく、「K」。それだけのことが妙に嬉しくて、ポチ袋を何度も裏返して眺めた。

 昔、長男がまだ小学生だった頃、クラス懇談会の後、わいわいと昇降口で靴を履き替えていた時のことだ。

「お母さん!」と呼びかけながらひとりの子どもが飛び込んできて、そこにいた全員が瞬時にそちらを振り向いた。誰かが、「ここにいるのは皆誰かのお母さんだよー」と言って大笑いしたことを思い出した。

「お母さん」は役割だ。

 長男は2年前から一人暮らしをはじめ、次男も今年成人した。巣立つのも時間の問題だろう。
 もちろん、死ぬまで親であり子どもであるけれども、四半世紀に及ぶ「お母さん」役はこの辺で一区切り。

 さあて、初めてのお年玉で「私」のために何を買おうかな。

2021年 朝日新聞 ひととき欄 ボツ投稿

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