カーナビはかつて「かあちゃんナビ」だったっていう話
その11 かあナビ
我が家の車には、カーナビが付いていない。
だから、初めての場所に赴く時には、たいてい波乱含みである。
だいたい、私に地図を読ませようとするのが無謀なのである。自他ともに、大いに認める方向音痴であるところの私に。なんせ喫茶店から出たときですら、どっちから来たのかわからなくなっている。
太陽を見たって、もちろん方角なんかわからない。
自宅の東西南北も、最近風水にこり始めて初めて知ったようなものなのだ。
加えて、運転も出来ないから、はじめはどのくらいの早さで走っていると、地図上でどのくらい進むのか見当も付かなかった。だから、ずっと地図と標識とを交互にに見ていたのだが、これで酔わないはずもなく、案の定気分が悪くなってくる。
助手席に座ったら、地図だけ見ていればいいと言うものではなく、お茶もついであげるし、運転手が眠気に襲われたら、ガムをむいてあげたりもする。
「お茶ちょうだい」
「は~い」
「で、次はどっちに曲がるの?」
「え?あれ、お茶ついでたらわかんなくなっちゃった」
「ちゃんと見とけよな~」
「そういう言い方、ないじゃない」
今でこそおたがいに随分と慣れたが、つきあい始めた頃には険悪なムードになったことも、しばしばであった。
実際の道と地図の違いにも翻弄された。
地図上ではT字路に見えるのに、実際は道なりだったり、細い市道のナンバーや交差点の名前が違っていたり。
初めて首都高に乗ったときには、降りたいインターが見つからなくて、焦りまくった。あまりに緊迫した両親に、当時幼稚園児だった長男は、本気でもうお家に帰れないと思ったそうだ。かわいそうに。
乗り口のあるところに、必ずしも降り口があるとは限らないと知ったのは、後のことだ。
10年ほど前、流木作品の撮影のために北海道をキャンプで回ったことがあった。
一日の大半が移動時間という毎日。行き当たりばったりのロケ旅行だったため、そんなにナビは必要なかったのだが、ある時何かを探していて道を間違えた。あ、またやっちゃったよと思った私、とっさに
「次の角を右ね。そのつぎを右。突き当たりを右」
「それじゃ、元に戻っちゃうんじゃない?」
「…ばれたか。ごめん、間違えたみたい」
怒られるかと思いきや、彼は笑いながら上機嫌で地図を見直してくれた。作戦が、ツボにはまったらしい。いまだに語りぐさになっているほどだ。
こういう仕事をしているのだから、カーナビくらい買おうよというのだが、彼はなかなかうんと言わない。
「カーナビの方が確実だよ~」
「ないほうがおもしろいじゃん」
「また、そんなこと言ってる」
「カーナビならあるし。かあちゃんナビ」って、親父ギャグじゃん。
そういえば、アニメの「あたしンち」のお父さんも、おんなじようなこといってたなあ。道を間違えて目的地に着かなくて、お母さんに
「もう、お父さんたら、こんなに何にもないところに来ちゃったじゃない」と言われて
「お前がいるじゃないか」
かあちゃんナビで出かける我が家は、全く新しいものに出会える可能性も秘めているということに、しておきましょうか。
※※※これは2005年2月に書いた文章です。予めご了承くださいませ^^;※※※
ちなみに、今は賢くなったスマホのナビに助けてもらっております^^y